すぷりんぐぶろぐ

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豊かさに浸るには…

2009年02月15日 | 雑記帳
 二年生の国語の教科書に「音やようすをあらわすことば」という題材がある。擬音語、擬態語を取り扱うということだ。

 子どもはこちらが思っている以上にそういう言葉を知らないんだな、と感じる。水道はジャージャー流れるし、机をたたけばコンコンという音だし、それ以外の表現はなかなか難しいのが現状だ。これは本校の児童だけではない気がする。

 数年前に辞典を買っていたことを思い出した。

 『暮らしのことば 擬音語擬態語辞典』(山口仲美編 講談社)

 改めてぺらぺらめくってみると、なんだか面白い。見出し語も結構豊富で思わず読み込んでしまいそうになる。

 ところで「はしがき」に次のような問いかけがある。

 擬音語や擬態語は、日常よく使われるにもかかわらず、普通の国語辞典には載りにくい言語なのです。何故でしょうか。

 結論は三つ。要約すると「辞書を引かなくてもわかる」「流行語としての面がある」「いささか品に欠ける」。
 二番、三番はともかく「辞書を引かなくてもわかる」ということはどうとらえたらいいだろう。
 
 いわゆる「生活語彙」という側面、日常の暮らしでよく使われ耳慣れているということがあろう。
 もう一つは、発音の響きが意味につながっているということなのだと考えられる。従って一番目は「日本人なら」という条件が前段にあるのだ。

 翻訳者を悩ませるという擬音語、擬態語。それが日本語の豊かさの証しであると断言はできないが、一つの要素であることは確かだろう。
 そんな世界に浸ってみたり、様々な感覚を声にしたり文字にしてみたりするには、やっぱり時間的な余裕(精神的もそうだけど)が欲しいんだな、とつくづく思う。
 ざざっとやらないこと。ううん。