すぷりんぐぶろぐ

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初心者、「高座」の意味を知る

2009年02月19日 | 雑記帳
 先日、柳家喬太郎の落語を聴いた。

 もう何年前になるのだろうか。新宿末広亭でまさに笑いが止まらなくなった経験がある。演目はたしか「松竹梅」。まさにハマるとはあのことだったろう。
 その時から柳家喬太郎の名前は印象づけられた。数年前に国立演芸場花形演芸大賞を受賞してからは、まさに売れっ子。テレビにもよく出ているし、CDなどでも目につく。

 秋田市にも落語会が出来て二度ほど来たはずだが、どうにも都合が合わなくて悔しい思いをしていただけに、本当に今回は楽しみだった。
 しかし、まあ面白いには面白かったが、期待が大きかったせいか、少し物足りなさを感じた。満腹感まで達せなかった…どうしてそうなんだろう、と振り返ってみた。

 演目が「左甚五郎 竹の水仙」。登場人物像もはっきりしていた。焦点は、気弱な宿屋の主人にあてられていて、それを取り巻くキャラクターもまずまず良かったのではないか。現代風のギャグをはさみこんだり、俯瞰的な立場での解説風な語りで笑いをとったり…まさに喬太郎ワールド(私の知る範囲の)ではなかったか。

 振り返ってみて、ああと今思いあたった。

 場所が悪い。力んで早く出かけたので近くていい席はとれたのだが、ホテルの宴会場でテーブルが挟まれたりしている配置は最悪なのだ。
 そういえば、去年正蔵を聴いたときもどうも居心地が悪いような記憶がある。ホテルであっても、せめて聴く配置で椅子を並べないと駄目なのではないか。
 そうでなければ、いくら見えやすい位置につくっても「高座」とは言えない気がする。

 のんびり笑っていられるのが落語の魅力だが、きちんと対面して聴くことが基本なんだね。