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叱られ講座から、その1

2009年02月09日 | 雑記帳
 先週土曜日、山形市で行われた「鍛える国語&道徳in山形」に参加した。内容は参加者による模擬授業が国語、道徳それぞれ一本ずつ、それに野口芳宏先生の解説があり、そして国、道それぞれの模擬授業的な講座があるという構成である。昼食時を利用したQ&Aやキーワードを上げての感想交流などもたっぷり時間がとられた充実したものだった。

 「根本」「本質」「原点」は何だ?と常に問う
 講座の冒頭で、野口先生は明快に切り出された。何度となく読み、耳にしたことであろうこのことを、いつもだらしなく忘れてしまう自分を叱られているようだった。観念論ではなく具体的にそれをどう示しているのか、ということである。先生は、道徳の模擬授業者に対する評価として、指導案に書きこまれたこの言葉を挙げられた。
 私はこのドラマに感動し、大事なことを教えてもらった
 こういう授業者の感動が大切であり、それは「実感に基づく教育」につながるとおっしゃられた。そして特設道徳の不振をその言葉で括られたことは、かなり重要な視点ではないかと考えた。

 「叱る意味 叱られる理由」という道徳の模擬授業は、以前から行われているらしく練られた素晴らしい講座だった。
 子供たちの現状がどうあれ、私たちがそういう具体的なテーマを提示し授業することがない事実はやはり弱腰の何物でもないし、そこに「叱る主体」が持つべき意識の貧弱さを感じる。
 かつて「叱りの成立」と題した小文を雑誌等に載せたことがあるが、成立を先に考えてしまう思考そのものが、叱りの根本にあるだろう怒りを去勢させてしまったのではないか…帰りの電車では、そんなことばかり考えていた。