すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

何のための作法か

2009年02月17日 | 読書
 「鍛える国語&道徳in山形」に参加したときに、野口先生の最新刊である『教室で教える 小学生の作法』(野口芳宏著 学陽書房)を買い求めた。

 行儀悪く不作法であることを自覚している者にとって、この手の本は非常に居心地が悪いのだが、せめて居直ることなく読み進めたいと思っている。
 「作法の原則」と題された頁で、野口先生は次の三つを挙げられた。

 ①他人に迷惑をかけない 
 ②自分の行動に責任を持つ
 ③集団の向上に寄与する

 「枝葉末節にとらわれず、物事の根本を見る」大切さを説き、細かいルール(というより「掟」)に対する疑問を投げかける。これを現場に当てはめて考えたときに、私たちは頻繁に子どもたちにその意味を問うことになるのだと思う。
 学級づくりの感覚で言えば、これはかなり初期の段階で集中的に行う必要のあることだ。そこで原則が徹底できれば、あとはその応用、発展となろう。

 がしかし、例えば「身なり」一つとっても、他人に迷惑をかけるかかけないか、子どもたちにその意味を理解させるためには、結構息の長い、それも信念を持った指導が必要だ。「基準感覚」や「美意識」を育てるためには、やはり作法が徹底的な身体化されていなければ困難なのではないか…そんなことを、付け焼刃的な自分は考えてしまう。

 ところで、「態度」という項で先生はあっさり?こんなふうに書かれている。(最終項でも登場するが)

 幸福な人生とは、「他者から大切にされる」人生です。

 私の知る範囲では、初めての文章である。この結論のために何をすべきかは、もう簡単にわかる。
 そのための「作法」なのである。