すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

丁寧な時間を遮る毎日であっても

2009年06月05日 | 読書
 書棚にある見本誌の背表紙に書かれた「親子幻想」ということばが目に入って、手にとってみる。

 その中に、絵本作家の五味太郎の文章が載っていた。ちょうど先週、近くの美術館でその原画展をみたものだから、流れるようにそのページをめくってみた。
 結構過激なことを書く人だなあと以前読んだときも思ったが、この数ページの文章もそうであった。その中で心に留まった一つの言葉

 ガチャガチャしていない丁寧な時間

 「高級な時間」という言葉が最初に出てきて、それを言い直した「丁寧な時間」。つまり、こんな思考をする時間だという。

 自分のペースで、自分の考えで、自分のタイミングで、ちょっと聞いてみたい

 なるほど。五味はそういうことが今の初等教育に欠けているのではないかと感じている。
 確かに反論できない面もあるが、それを学校という組織の中で実現していくには、いくつか解きほぐさなければならない現状の塊があると思う。むろん、だからといって子どもたちに「丁寧な時間」が与えられないと決め付けることはできない。

 結構な時間を過ごす学校生活の中で、子どもがそれなりに自分のペースを守っていることがある。その姿を見つけられるか、それにどう関わって、全体の中でどう位置づけていくかは、やはり教師の大事な仕事であると思う。

 仮に丁寧な時間を遮る毎日であっても、そのことを意識しているかどうかは、いつも問い続けたい。