すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

子どもが羽ばたく空間

2009年06月30日 | 雑記帳
 勤務している学校の校舎はちょうど10年前に建てられたものであるが、各階の廊下にちょっと引っ込んだ形で談話室のようなスペースがある。といっても広さは一坪にも満たない狭さで、こちらの方言?で言えば「こみっとした」感じである。
 それにしても何もないので、小さな額縁に詩でも入れて飾ろうかなと考えたのだが、すぐ思い直した。

 談話コーナーなので、二、三人でひそひそと話すこともあのだろうけど、もしかしたら一人で物思いにふける時もあるかもしれない(さすがに小学生はいないだろうと思いつつ)…そんな想像も働き、その時に目の前に字句があることは邪魔になるときもあるかな、かえって壁の木目を眺めていたほうがいいのではないかな、などと思ったのである。

 作家の小川洋子がある雑誌のインタビューでこんなことを語っている。

 子どもって肉体的に遠くへ行けないので、知っているんでしょうね、本能的に。どこに行けば遠くに行けるかっていうのを。閉ざされた空間に閉じこもれば閉じこもるほど、実は広い世界に羽ばたけるんだっていうことを子どもなりに知っていて~~

 その狭さから「閉じられた空間」をイメージしてしまったので思い出した一節であるが、考えてみればスペース上のことでなく、子どもたちはそれぞれにそんな空間を持っているのかもしれないと思う。
 それはどこかの一室の片隅であったり、階段の踊り場の手すりであったりしてもおかしくない。

 朝や休み時間に校内を廻ってみたとき、それはほとんど元気のよい風景であり一人でいる子は問題視されがちだが、もしかしたら自分自身で羽ばたいているという見方もあるはずだ。