すぷりんぐぶろぐ

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朝のひと睨み

2009年06月17日 | 雑記帳
 朝、学校に着き車を降りると、校庭から小走りでやってきた二人の男の子に呼び止められた。

 一人は泣いている。憤然とした面持ちのもう一人の子が、おはようの挨拶もなしにいきなり話しかけてくる。
「○○くんはずるい。いつも強いチームと弱いチームに分けて、ぼくたちはいつも弱いチームで…」
 涙をためた子も重ねて言う。
「いつもいつもそうだ。弱い組にしか入れてもらえない。」

 ほおっと校庭に目をやると、サッカーボールを手にこちらの様子をうかがっているらしい男子三名。

「先生にも言ったんだけど、その時はよかったけど、またすぐ同じ。ぼくらがボールを早くとっても、いつも取り上げて…」

『そうかあ、なるほど』
『君はどう思う?』
『何か方法はないのか?』
『一つの方法だけじゃないと思うよ』
 こんな慰めや問いかけが今の私には関の山だが、男の子にとっていわばこの手のトラブルは永遠の課題でもあるので、自分で切り拓くしか手がないこともわかってほしい。

 そういえば…と思いだす。

 二十数年前も同じこの学校で、同じように、強いチームと弱いチームに分けて楽しむ一握りの軍団がいて、その理不尽さを訴えかけてくる数人がいて…(もっとも当時は野球であって、サッカーとの違いはあるのだが)。
 
 二十代であった自分はそれを真っ向から学級会で取り上げたり、学級生活の不満を書かせてあからさまに教室内に掲示したりして、年配の先生方に驚かれ、あきれられたものだった。

 技術はなかった。見通しは持っていたのか。ただ「許せん」「解決したい」という思いで突き進んだのだろう。

 今、その当時を振り返ってみて考えると反省することは多い。しかしなお、青っぽくてもやはり肝心なのはそういう思いであり、それをどこかではっきり明確に表しておくことは必要だと感じている自分がいる。

 それをどう表すか。
 とりあえず、校庭の三名をじっと鋭く見つめてみる。