すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

寺子屋で教えた人づきあい

2009年06月09日 | 雑記帳
 数年前からちょっと流行っていた「江戸しぐさ」についての雑誌記事をたまたま見かけ、少し興味深く思いネットで検索してみた。

 恥ずかしい話だが、寺小屋に「一般の寺小屋」と「江戸寺小屋」の二種類があったことを初めて知った。
 一般は「読み書きそろばん」が中心だったが、江戸寺小屋は商家の親たちが子弟のために共同で師匠を雇った公塾のようなものとある。

 そしてそこで力を入れたのは「見る」「聞く」「話す」「考える」というから、ちょっと驚いてしまう。
 言葉遣いには特に厳しく、「人は世辞が言えたら一人前」と言われたそうだ。さすが商家、町衆という感じがする。

 もちろん一般で行われる読み書きそろばんも下地として行われていたようにも想像するが、それ以上のこと、つまり「人づきあい」「人間関係」に中心をおくというのは、何かしら今の状況と似ているような雰囲気も感ずる。

 おそらく当時の江戸には、異文化が勢いよく流れ込んだだろうし、そういった様々な考えを持つ人間に対応していくために求められることは、現在と共通する要素を持つことだろう。

 町衆の子供たちは、6歳までに古典に親しみ、9歳までには大人のことばでどんどん話しかけ、母国語のボキャブラリーを増やしたそうです。

 この記述にああなるほどと合点が行き、思わずきっかけとなった雑誌記事を読みなおし、次の警句がまた一層深く感じられた。

 「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」