すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

すべからく、立て

2009年07月24日 | 読書
 カラオケは年に二、三度するだろうか、という程度であるが、私の場合は鉄則がある。
 「立って歌う」ことである。
 そうでないと正直、歌うという気分にならない。それは単なる不器用ということだろうか。

 『ちょっとした勉強のコツ』(外山滋比古著 PHP文庫)が面白かった。
 著者の文章は読みやすくわかりやすいのでけっこう読んでいるが、今回の本もまさにそういう類である。
 その中に、姿勢と勉強、仕事の関わりを書いた項がある。

 立っていなくては声が出ない。声だけでなく、頭もはたらかないような気がする。  

 いつまでも現役を続ける指揮者、イギリスの書きもの机が斜面になっていること、学校の机と椅子の粗末さ、陸軍中等学校における幼年学校出身者の例などを挙げながら、その論?を作り上げている。

 ある評論家は原稿はすべて立って書くそうだ。結局、立つことによって姿勢を正すことが、頭の回転をよくするに通ずる。かつてNHK「ためしてガッテン」における実験によってもデータが残っているという。
 
 椅子に腰かけて仕事する時間の多い毎日である。印刷作業や気分転換のために立つという現実だが、考えてみればもったいない話か、せめて姿勢を正してキーボードに向かうか。
 
 頭をフルにはたらかせようとする者、すべからく、立て。

 この言葉をもう一つ深読みすれば、何かをしようと立ち上がる時に思考は動き、現状のままでよしとすれば沈滞するだけだとも読みとれる。

 立ち上がる時が、カラオケだけだったら、それは悲しい。