昨年の名古屋に続いて,今年も参加することができた。
前回も充実していたが,さらにグレードアップした会となっていて本当に参加してよかったと思う。
会場ホールの広さ,机やイスのゆったり感,巨大画面のセットなどそうした素晴らしさもあり,一日気持ちのよさを感じながら過ごした。
こういう環境設定の大切さを見せつけられた気がして,その意味でも有意義だった。
もちろん内容もばっちりだった。
自分の思考に刺激を与えてくれたことを振り返りながら,思いつくまま感想を記したい。
午前のパネルディスカッション。
当初10名のパネラーは多いかなと正直思ったが,進行する会長の玉置先生が明快でわかりやすく進めてくれたために,幅広く多面的に考えることができたように思う。
テーマは「学校のお荷物(学校ホームページ&学校評価)を切り札にするために」。
「お荷物=負担となる,やっかいなもの」を「切り札=とっておきの最も有力な手段」にしようというのだから,そこには明確な現状分析と作戦が必要だ。もちろんそれを支えるのは教育についての熱い思いや揺るぎない観だということができる。
その点は一人一人のパネラーの方がほとんど外さずコンパクトに語ってくれた。
おそらく自分に一番近いのは(もちろん実践として及ぶべくもないのだが)大手小学校の水谷校長先生だろうなと感じた。
そしてもしかしたら,多様な参加者各自の代弁的な意味も込められる可能性が高くなるということでの10名なのかもしれない,そんなふうにも納得した。
かつて担任をしていていた頃,サークルの集約に「学級通信,二番打者論」を書いたことがある。
広報活動を一つの核として意識してきた自分にとって,学級全体や子どもや自分の姿を,できるだけ継続的に,頻繁に伝えていく重要性,そしてその位置づけをまとめたものだった。
学級通信発行を,野球の二番打者の役割と重ねて,学級経営,授業の充実に結びつけるという論は,今の自分の立場での学校報発行やホームページづくりと全くつながる。
コトを進めていくため十分な効力を発揮させ,進塁,点数に結びつけるという意識だ。
「二番打者」=「切り札」とは言えないかもしれない。
しかし今回のディスカッションでパネラーの方々が語られたなかに,自分自身のマンネリ化した部分,曖昧なまま持ち越した部分は見事に指摘されたように感じた。
それは,きっと「強い二番打者」を育てるための指針となる。
大きく二つの点である。
自分たちがこうありたい,こんな子どもにしたいということを,明確に,具体的に伝える
広報と評価の一体化を図る
役割意識,ふりかえり,結びつき…いろいろな観点が浮かぶ。
新年度のめどにどんな形で具現化できるか,練っていきたい。
さて,そういえば「二番打者論」は,実は著名なある実践者の雑誌記事に反論する意味を込めたものだった。
当時(90年代前半)の学級通信発行ブーム?に対する批判。
それが有田和正先生だったことも,何か因縁めいている。
前回も充実していたが,さらにグレードアップした会となっていて本当に参加してよかったと思う。
会場ホールの広さ,机やイスのゆったり感,巨大画面のセットなどそうした素晴らしさもあり,一日気持ちのよさを感じながら過ごした。
こういう環境設定の大切さを見せつけられた気がして,その意味でも有意義だった。
もちろん内容もばっちりだった。
自分の思考に刺激を与えてくれたことを振り返りながら,思いつくまま感想を記したい。
午前のパネルディスカッション。
当初10名のパネラーは多いかなと正直思ったが,進行する会長の玉置先生が明快でわかりやすく進めてくれたために,幅広く多面的に考えることができたように思う。
テーマは「学校のお荷物(学校ホームページ&学校評価)を切り札にするために」。
「お荷物=負担となる,やっかいなもの」を「切り札=とっておきの最も有力な手段」にしようというのだから,そこには明確な現状分析と作戦が必要だ。もちろんそれを支えるのは教育についての熱い思いや揺るぎない観だということができる。
その点は一人一人のパネラーの方がほとんど外さずコンパクトに語ってくれた。
おそらく自分に一番近いのは(もちろん実践として及ぶべくもないのだが)大手小学校の水谷校長先生だろうなと感じた。
そしてもしかしたら,多様な参加者各自の代弁的な意味も込められる可能性が高くなるということでの10名なのかもしれない,そんなふうにも納得した。
かつて担任をしていていた頃,サークルの集約に「学級通信,二番打者論」を書いたことがある。
広報活動を一つの核として意識してきた自分にとって,学級全体や子どもや自分の姿を,できるだけ継続的に,頻繁に伝えていく重要性,そしてその位置づけをまとめたものだった。
学級通信発行を,野球の二番打者の役割と重ねて,学級経営,授業の充実に結びつけるという論は,今の自分の立場での学校報発行やホームページづくりと全くつながる。
コトを進めていくため十分な効力を発揮させ,進塁,点数に結びつけるという意識だ。
「二番打者」=「切り札」とは言えないかもしれない。
しかし今回のディスカッションでパネラーの方々が語られたなかに,自分自身のマンネリ化した部分,曖昧なまま持ち越した部分は見事に指摘されたように感じた。
それは,きっと「強い二番打者」を育てるための指針となる。
大きく二つの点である。
自分たちがこうありたい,こんな子どもにしたいということを,明確に,具体的に伝える
広報と評価の一体化を図る
役割意識,ふりかえり,結びつき…いろいろな観点が浮かぶ。
新年度のめどにどんな形で具現化できるか,練っていきたい。
さて,そういえば「二番打者論」は,実は著名なある実践者の雑誌記事に反論する意味を込めたものだった。
当時(90年代前半)の学級通信発行ブーム?に対する批判。
それが有田和正先生だったことも,何か因縁めいている。