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禁句が金句になるとき

2012年02月17日 | 雑記帳
 先日,臨床心理士の方の講演を聴く機会があった。
 中学生のスクールカウンセラーをしていらっしゃり,実際の例を交えながら思春期の子供たちとの付き合い方についての原則的なことをコンパクトにまとめられていたと思う。

 「自尊心」を育てていくためとして挙げられた項目化された7つのポイント。

 おはようコミュニケーション
 めしコミュニケーション
 好きなことトーク
 ドジ話コミュニケーション
 ほめるコミュニケーション
 (認めるコミュニケーション)
 一喝コミュニケーション


 ネーミングもわかりやすく,具体的でよかった。

 ただ一つ,ちょっと気にかかって考えをめぐらした一言が「一喝コミュニケーション」の配慮事項のなかにあった。

 愛情があること(禁句を言わない努力)が大切。

 確かにその通り。
 「それを言っちゃあおしまいよ」という一言は,フーテンの寅さんがよくいっていたセリフのようにも思う。しかしこの場合はどんなことだったかな…よく思い出せない。

 「勘当だ!」「出ていけ!」「お前はここの家の者じゃない」だろうか,
 「お前が決めたんだから,お前が好きなようにしろ」「すべてお前の責任でやれ」だろうか,

 なんだかどれも古臭い感じがする。
 中学生に対して,どんな文句が「禁句」と言えるのか。

 「おまえは,本当にダメな奴だなあ」
 「結局,おまえの頭の程度は,そこまでなんだよ」
 「死んでしまえ,おまえのような者は!」

 侮蔑する言い回しは心を傷付けるだろうと想像される。

 そんなことを考えると「勘当だ」などという古典的な禁句は,「つながりを断ってもいいのか」という強い問いかけとも言えるし,一喝コミュニケーションとしては,使える文句かもしれない。

 そういえば,昔「小学校学級経営」という月刊誌に原稿を書いたとき,「つながりを断つ言葉」を最終的に用いた実践を書いたことがあった。

 禁句が金句になるときもある…

 しかし今なら「あっ,そう」と軽くかわされるかもしれないし,やはり時代遅れの感は否めないか。