すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

日向と日陰,作家の資質

2012年02月08日 | 読書
 『ひなた』(吉田修一 光文社文庫)

 帯には「隠れた傑作」というコピー。
 本当にそういう作品ってあるものかなあと思うが,ファンの一人としては,文庫になっていればすぐ手が出てしまう。

 読み終わって感じるのは,これも帯にあるとおり「ありふれたおはなし」,確かにその通りだと思う。
 「どうしてこうも心揺さぶられるのでしょう」というところまではいかないが,淡々としたストーリーの中に,それぞれの人物が抱える「暗さ」のようなものが見え隠れする構成で,それは露わにならないのかという気持ちになったりして,少しどきどきする。

 そして,わかったのが「ひなた」という題名の意図である。
 四人の視点で描かれるこの話の接点は,「ひなた」ということに象徴される平凡な日常生活であり,その明るさや温かさによって,人は生き続けている。
 一人ひとりはもちろんそればかりでない,いわば「ひかげ」を持っていて,それはごく自然なことであり,誰にも当てはまる姿なのだろう。
 ひなただけに生きる能天気な人など,この世に何人存在するのだろうと思う。


 いやあ,それにしても作家という者は,観察力が優れているものだなと改めて感じる箇所がいくつかあった。
 こういう感性は,取材ということもあるのかもしれないが,日常の出来事からそれらをつまみ出し,表現にもっていくまでよほどの思考があるのだろうか。それとも直感といえばいいのだろうか。

 今回,特にピックアップしたいのは,次の三つ。

 渋い声のやつと日本酒飲むとうまいんだよ。

 誰よりも自分を見ているはずの自分に,本当にいいものを身につけさせてやることは,決して無駄なことではないような気がする。

 グループではなく,一人で駅に立っている学生というのは,どうして賢そうに見えるのだろうか。


 どれも,はああっと思った。
 ストーリー上の流れの中で出てきた何気ない言葉ではあるが,結局は作家自身の好みや人生観に裏打ちされたものかなあ,とも思う。

 たぶん,「ひなた」という日常の観察によって,「ひかげ」という非日常あるいは反日常または脱日常といったことを想像できることが,作家の資質なのだ。
 そんな考えが浮かぶ。