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「的」の意味を身体化する②

2016年04月22日 | 読書
 『インターネット的』(糸井重里 PHP新書)

 第一章というよりこの本自体の大きなキーワードとなる「リンク」「シェア」そして「フラット」という用語は、ごく普通の言葉として通用するようになった。もちろん意味は理解しているが、その「精神」の解釈はどうなのだろう。単に「つながる」「おすそ分け」「同等な関係性」の表面的な部分をなぞっていないか。


 従来からあった「ジョイント的なつながり」、つまり問いと答えがセットされているようなものではない。リンクに込められているのは、次の文章から伺える。

★一見、不要な情報からのつながりに可能性を見出せるということ


 そのためにはもちろん、受け身でなく自分の情報を表現していくことが不可欠になる。その過程でしかリンクは実現しない。そうしてもう一つ肝心なことがある。

★役割や肩書き以外の自分の「情報」(熱心さや目利きぶり)を表現したから、リンクがつながった


 シェアもフラットも、そしてグローバルということさえも、その中に包括されるのではないかと思う。パソコンなどの情報機器をいくら使いこなせていても、結局その場で何が発信されているか、向かうベクトルは定まっているのか、そうした点こそ問われねばならない。つまり、その行為は熱心か、目利きであるか。


 知人の夢をネタに考えた「『毛もの=獣』度」という話題が面白い。対応する表現として「銀」を出す。「毛」と「銀」の持つイメージで、およそ想像できようが、人間の進歩は「銀」化が中心になってきた。ここは「毛寄り」に振っていこうという提案もある。アナログ、手作り、生々しさといったキーワードが浮かぶ。


 昔から言われてきたことだが、「現場」があってこそ「価値」が生まれてくる。今の自分の現場を充実、改善させようと思う者こそ「的な生き方」に近づく。今回の九州の地震被災地にあっても、個々がネットをどんなふうに使いこなしているかによって、その成熟度は測れるだろう。情報は何のために使われているか。