すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

長い時間が過ぎても…

2016年04月15日 | 教育ノート
1985.4~1991.3(続)

 この思い出が浮かんできたのは、実は10年以上前のことだ。

 今はもう閉じてある以前のブログに、こんな文章を書いていた。そのまま再載する。


-------------

 貴方の横顔を忘れない 2005/10/23


 PTAの研究大会で、お昼のアトラクションとしてバンド演奏があった。
 カントリーっぽいものからフォークまで、素人ではあるが、年季の入った音楽は温かな雰囲気がした。

 そういえば…と思い出した十数年前のこと。

 勤めていた学校での学芸発表会。

 職員有志による出し物も恒例となっていた良き時代である。
 「祭」好きの性格そのままに私が誘い出したのは、当時校務員をしていたTさん、それからPTAの役員をしていた住職のKさん、そして、受け持っていた子の父親Mさんの三人だった。

 バンドでフォークソングをやろうということで、体育館に臨時に設えたステージに立った記憶がある。

 それぞれが昔とったナントカで、ほんの2,3回練習しただけだったが、当時の親の世代には、それなりに喝采を浴びたような気がする。
 唄ったのはアリスだった気もするし、加山雄三だったような気もするし…とにかく楽しくやれたことは覚えている。

 しかし、それから数週間後。

 思いがけないことが起きる。

 一緒に唄い、演奏したMさんの死である。

 地域の電気屋さんとして誰にも愛された人の、突然の死の知らせに、一瞬私は言葉を失った。

 だが、それは近親の方々にとっては周知のようだった。

 実は、学芸会の舞台へ立つ前から体調に異変をきたしていたのだった。
 それでも「約束したことだから」と言って、無理をして夕刻からの練習にも出向いていったのだと、奥さんから聞かされた時のことは忘れられない。

 そうしたことにも気づかず、能天気にギターなどかき鳴らしていた自分が恥ずかしかったし、何よりなぜそんなにやさしく強い魂がこんな早く逝ってしまうのか…
 それが悔しかった。


 葬儀からの帰り道。

 ふいに感情が高ぶってきて、車のハンドルを強く握り締めたが、嗚咽は止まらなかった。

 Mさん、貴方はあのステージで、誰に向かって唄を届けていたのかな…

 あれから長い月日が過ぎた。

 しかし、私は今も、
 明るくにぎやかなバンド演奏の音を聞きながら、
 貴方の横顔をくっきりと思い出すことができる。

--------------

 だんだんと、人生とか人間の強さ弱さについて考えをめぐらすようになっていった。