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「イマイマ」苦しゅうないぞ

2021年02月09日 | 雑記帳
 あっ、使ってしまった…

 ふっとそんな思いが頭に浮かんだ。

 あることで問い合わせの電話があり、それに答えていた時のことだ。
 「いつ頃ですか」と訊かれたので、こう返答してしまったのだ。

 「ええ、イマイマです。

 相手は若い方だったようで「あっ、イマイマですね」と引き取ってくださった。

 「イマイマ」…確かに耳に入ってはいた言葉だが、我が口から発せられるとは…。
 こう思ったのは、この「イマイマ」が、きっと最近よく使われる「ほぼほぼ」と同類だろうと予測したからだろう。流行り言葉の類に違いないと…。


 ところが、この「いまいま」はきちんと辞典に載っている語だ。
 手元の電子辞でも「精選日本国語大辞典」と「広辞苑」に見出しがある
 たしかに例文は古語扱いだけれど、意味として「今。現在。たった今」を表している。

 ちなみに「ほぼほぼ」はない
 どちらも畳語と言えるだろうが、実際に成立?した歴史は違うというべきか。


 その電話の2日後に、古本屋へ出かけて風呂読書用に新書を漁っていたときに、書棚のなかに見つけてしまった。

 『「ほぼほぼ」「いまいま」?!』(野口恵子  光文社新書)

 これは扱いとして二語は同列という考えなのだろうか。
 本文をみると確かにそういうニュアンスで書かれているようだ。

 古文の授業で習った「今今」には「今か今か」「今後」といった意味があったと思うが、現代の俗語の「イマイマ」にはそれらの意味はない。ビジネスの世界で使われる新畳語ということなのだろう。

 強調表現としての畳語を認めないというわけではないようだが、改まった場での使用は控えたい「内輪の会話の言葉」という見解のようである。

 私が使用した例は、施設同士の公的な連絡とは言えるかもしれないが、さほど改まった場とも言い難いので、許される(誰が!)だろう。
 使った者としての心情は「たった今」、文章にすれば「ああそれは今、今でしたよ」と感じで、その流れとしての「イマイマ」である。
 つまりは、強調以外の何ものでもない。

 「ほぼほぼ」は、婉曲なのか強調なのか不明だし、個人的には「婉曲の強調によるボカシ効果あるいは責任回避的な言い回し」と解釈している。

 その点「イマイマ」は「今今」という由緒正しき語であり、使ってもよいのではないか。

 なお、その際に声色を、漫才師「すゑひろがりず」のように変えてみたらどうか。
 臨場感、あふれるぞ。