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桜と絵本と豆乳と

どうする?「喉活」

2021年02月19日 | 雑記帳
 「すべての異変は『のど』から始まる」…某週刊誌の表紙に見出しとしてあった。なるほど。「コロナも、がんも、肺炎も~~」と添えられてある。ふと、昨秋の読み聞かせワークショップに参加者した方が、感想に「現在、声活をしていて、そのため…」と書き込んでいたことを思い出す。確かに「のど」は注意点だ。


 以前はなかった「呑みこみづらさ」を時折感じることがある。誤嚥とまではいかないにしろ、気をつける必要はありそうだ。さらにだんだんと声を出す機会が減っているように思う。日常会話はごく普通だが、一定人数の前で話すことを職業にしてきた者にとっては、少し衰えが気になる。「読み聞かせ」のこともある。



 年度最後の読み聞かせを、某小学校6年生相手に行った。昨年末に一度チャレンジした「落語」+「講談」を取り上げ、レパートリーにしたいと考えていた。しかしこの二つはごく普通の絵本と比べると、声の持つ意義が大きい。練習を重ねる必要があるし、そうすると若干ではあるが喉が嗄れ気味になる傾向があった。


 家で読むときは、お茶でも飴でもあるわけだが、教室だとそうはいかない。「水」なら許されるだろうか…。途中で気になって読みが崩れるよりいいだろうと考え、事前に断って小さいペットボトルを持ち込むことにした。落語絵本「いちはちじゅうのもぉくもく」を読み終え、「失礼」と言って一口、次の講談の説明をしてもう一口。「それでは『宮本武蔵 ~山田真龍軒』でございます」と始めた。


 結果、一度つっかえたが及第点は付けてもよさそうだ。「喉を潤す」大切さをしみじみ感じるお年頃ということか。そう言えば学級担任の頃は、いつも学期初めに声の出し過ぎで喉が嗄れていたなあ。某週刊誌によると、一番いい「喉活」は風呂場で歌うことらしい。そういう習慣がないから今さら恥ずかしい。では何を。