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森をめぐるキニナルキ

2021年02月13日 | 読書
 さすがに逃げ切れないのでは、と思っていた。
 国内より世界の声に圧されてというイメージは否めないが、この攻防が結果として何をもたらすのか、見守っていきたい。

 ここ一週間程度の騒動で、印象に残った声を残しておこう。


『気になったのは、昨日の発言の「わきまえている」です。国民も「わきまえろ」と言われているように感じるのでは。いまの政治スタイルにも重なります。議論もせずに「わきまえて行動して」と上から言われている印象があるのだと思います』
 山口香「日刊スポーツ」2月4日

 こうした圧力にさられている現状は、中央のこうした華やかな舞台でなくとも、そこら中にまだ依然として残っていることに思いをはせる。
 「わきまえる」…これは、他者に対する敬意にほかならないが、他者の何に対して行うことなのか。透けて見える心が本意だ。



 『「こんばんは、森進一です」というのは、定番になっている「ものまね」の演目です。そして、この「こんばんは、○○です」は、名前の部分を差し替えることによって、瞬間的なギャグになります。』
 糸井重里「今日のダーリン」2月5日

 ここ数日、ウケねらいで家の中でやっていた。「こんばんは、森〇〇です」。〇〇には、様々な名前を入れてみる。しかし、かの「森」のインパクトが強すぎるこの数日。「森~」という泣きの表情だけが、妙に映える。


『「これまでの功績」と「卑劣な言動」を天秤にかけてどうにかしようとするのが男性社会の特徴である。』

 武田砂鉄「ワダアキ考」2月10日

 森を援護する声、その発言を薄めようとする多くの識者?たちの発想を見事に言いきった。正直、自分の中にもそういう思考があることは否めない。
 これは考えてしまう。「晩節を汚すな」…毎年のように、この国では典型的な反面教師が、ごろごろと登場してくる。
 自戒せよ!