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美しさを導く言葉

2021年02月11日 | 教育ノート
 『「ほぼほぼ」「いまいま」?!』(野口恵子 光文社新書)は、「クイズおかしな日本語」と副題があり、そうしたスタイルだった。「語彙・意味」「表記・文法」「敬語」の三章仕立て、最初の10問程度を全部正解できた(プチ自慢)ので、あとは読み流した形だ。「日本誤」という造語には納得したが、若干くどい気がした。

 ただ、あとがきの結びの一文が妙に心に引っかかった。

 「日本語に関して言えば、『正誤』はあっても『美醜』はないのではないかと、今は考え始めている。」

 言語が時代に連れて変化し、「誤用」が一般的になる例はよくある。従って日本語の「正しさ」といった場合の判断基準は、その時その時のものかもしれない。著者はそういう意味で「正誤」を使っている。では「美醜」はどうか。語そのものに宿る意味ではなく、それはやはり発する者、発する心の問題なのだと思う。


 なんとなくドイツ風。秋田ふるさと村だけど…

 先々週、以前勤めていた学校より「卒業文集」への寄稿依頼があった。何を書こうかと考え、その子たちが入学してきた時の式辞に入れた言葉を思い出し、次のような文章を送った。少し難しいかもしれないが、中学生間近であれば、少し背伸びしてもわかってほしい、年配者からの願いでもある。再記してみる。


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 55名の皆さん、卒業おめでとう。
 皆さんは「日本の一番美しい言葉」とは何か、考えたことがありますか。

 坂村真民という詩人が、それは「はい」という返事だと書いています。

 実は六年前、入学式で私が最初に話したのはそのことでした。
 もちろん覚えている人はいないでしょうが、今そう聞いてどんなふうに思いますか。
 たった二音の言葉が一番美しいだなんて…。

 私はこんなふうに考えます。
「はい」とは、相手に応える言葉です。
「はい」とは、存在を知らせる言葉です。
 そして「はい」とは、自らを奮い立たせ、他者と心を響き合わせる言葉です。
 美しさは、人と人、人と何かをつなぐ時の思いの強さに導かれて現れます。

「はい」という言葉には、存分にその思いを込められるのです。
「はい」を響かせてこの校舎を巣立ち、「はい」の声とともに、新しい一歩を踏み出してください。
               
        多くの人が平穏を願う2021年春に
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