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桃の節句に「きれい」であれ

2021年03月03日 | 雑記帳
 先日、最近気がかりなことの一つが解消できた。それはある専門家がかけてくれた言葉一つが大きかった。

 「きれいな○○ですね」

 これは効いた。
 詳しくは書かないが、その一言が頭に残って、しみじみそんな思いに浸っていたら、これは汎用性のある褒め方として超一級ではないかと考え付いた。

 「きれいな娘さんですね」

 「きれいな月ですね」

 「きれいな歩き方ですね」
 
 「きれいな夢ですね」

 人であろうが自然であろうが動きであろうが心の持ち方であろうが…。



きれい【綺麗・奇麗】」は、様々な種類の辞書で似たことが書かれているが、広辞苑では大きく二つに分類されていた。

 ①綺(あや)のように麗しいこと
 ②濁り・汚れをとどめないさま


 ①は個の見方や価値観が入り込む要素がある。それに比べると②の方が客観性が強いと言えるかもしれない。

 「澄んでいる」「いさぎよい」「さっぱり」「すっきり」「整っている」…そうした形容の持つ響きとは、改めていいなあと思う。


 人間にとっての最高の誉め言葉の一つに、これは入るなあ。

 「きれいな生き方ですね」

 いやあ、なかなかできません。
 じたばたじたばたが続くのが、目に見える老後だ。