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今さらの自戒ではあるが…

2021年03月13日 | 教育ノート
 昨日の続き
 通知表の所見について活字化を積極的には認めなかった。ただ前例としてあった場合、それを禁止する判断も出来ずじまいだった。職員向けの通信で繰り返し書いてきたのは「活字の文章は、直筆よりも不利ですよ」ということ。つまり、貴方が伝えようとする考えや思いが伝わりにくいはずですよと。それは何故か。


 一つは、活字によって読みやすくなっていることが内容の深い理解を妨げる場合がある。視覚的なストレスのないスピード感は、ある時表面だけをなぞっていく。もう一つは、書き手の表現が画一化する危険性が大きい。現在の機器が持つ予測変換機能に浸食されやすい。つまるところ、読み手が相手を想像しにくい。


 直筆は暖かみがある、味のある字を書くねえ…といった懐古的表現に込められていることの、一部はまったく正しい。つまり、その人でなければ書けない字が持つメリットはかなり大きい。内容はどうあれ、人が判断し自らの手で書きつけたことは、読む者にある意味の緊張感を強いながら、伝達の役割を高めるのだ。


 だから、活字化にあたって頼りになるのは内容のみ。それはとても厳しい条件と、文章を点検する側として若干の脅しめいたことも書いた。自戒を込めて今思う。こうしたアナログからデジタルへの移行が、学校全体を覆う画一化に拍車をかけ、人間関係の薄さを助長したことをもっと強調し、意味づけするべきだった。