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48の言の葉セレクション・壱

2021年03月25日 | 雑記帳
 今年度、図書館のエントランス掲示を担当した。
 「今月の言の葉」と題して、毎月、詩や短文などを4編ずつ掲げることにした。

 かつて、この図書館の館長であったT先生は、校長時代に「詩と絵のある学校」を標榜していらした。その感化を受けて、私も似たようなことを学校でしてきた。

 今、幸せなことにT先生が校長退職後に就いていらした仕事に携わることができ、同じ事を図書館でも可能だろうと思い立った。

 しかし、現実に毎月4編を選定するのは、結構きつかった。
 だから教員時代に校内掲示したデータも参考にした。結果的には48編中10編をそこから引いている。
 4編は小学生から大人まで、ある程度の段階を考えていたので、年少者向けには教員時代の遺産(笑)は好都合だった。


 さて、改めて読み直すと、当然ながら自分の好みが強く出ている。
 人によっては、説教臭く感じられた方もいたかもしれない。
 ただ、感想カードの中に「今月の言の葉が素敵だ」と嬉しい一言を書いてくださった人もいて、目に留めてくださったことに感謝する。

 まとめとして、いくつか(今でも心に響く句)を自分に言い聞かせる意味でも再掲しておこうと思う。


 6月に恩蔵絢子という脳科学研究者の著書『脳科学者の母が認知症になる』から引用したのは次の部分だ。


 辛い状況だからといって、辛い感情だけが生じるわけではない。
(中略)絶望的な状況の中で感じた小さな明るい感情が、のちのち、自分を支える力にまで育つのである。一つの出来事に、どのくらい多くの感情を感じることができるか、それはこの世を生き抜く一つの知性である。



 年間通して、コロナ禍に振り回された感があり、辛い状況のなかでの暮らしに目がいったように思う。その意味では、絶えず内部を見つめることの大切さは強調していた。

 と思えば、こんな文章を7月に挙げていた。

とりあえず時の流れに身を任せてみる、という手もある。
とりあえず風に吹かれて漂ってみる、という手もある。
とりあえず逆らわず言いなりになっているフリをしておく、という手もある。
とりあえず今はぐっと我慢して反撃のチャンスを待つ、 という手もある。
とりあえずビール、という手もある。


 これは辻仁成の著した『立ち直る力』からの引用である。

 真面目だけでは息が詰まる。とりあえずといういい加減さは「良い加減」である。