すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

光や灯りを求める心を

2021年03月26日 | 雑記帳
 選んだ詩などを読み返してみると、数としても「光」「灯り」がキーワードになっていることに今さら気づく。


 1月に選んだ坂村真民「念ずれば花ひらく」から選んだ詩篇は、まさに「光る」そのものだった。

光る 
光る
すべては 
光る

光らないものは
ひとつとしてない

みずから
光らないものは
他から
光を受けて
光る



 6月には、原田直友「ほたる」という詩を選んでいた。

ピカッ と光って
しばらくして

あっちで
ピカッ と光って

おかあさん
ほたるは あのくらがりを

自分(じぶん)を見うしなわないように
ときどき てらしているんですね



 「光」と言えば、テレビで番組化されるほどに今は「焚き火」ブームのようである。
 様々な見解があろうが、石川道夫を書いた「火を囲んで」は、そうした人たちの思いを代弁しているようだ。
 前半2連だけを載せてみる。

火をかこんで話をしよう
思っていることはなんでも話そう
考えることはいい 沈黙もいい
しかし話すことはいちだんといい
話すことは行動の第一歩だ

火をかこんで話をしよう
火花のようにはじけとぶことばで
鋼鉄のように強いことばで
宝石のようにちみつなことばで
音楽のようになつかしいことばで



 明るさを求めるのは人間の性のような気がする。
 全体としては「暗め」の一年だったように捉えられるから、その反動も多少混ざっているかな。

 光や明るさは、暗さの中でこそ貴重であり、絶えず日が照らしている状況が本当にいいものかと疑うことも必要なのかもしれない。