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身辺雑記という薄い膜

2021年03月28日 | 読書
 エッセイとは「随筆・随想」と訳される。また少し品に欠けるが「身辺雑記」という言い方をすることもあるだろう。その意味で、本当に身辺のことだらけだなあと感じる一冊。なんと24年間に発表した文章を収録している。ただ、時代感なく読ませてくれる印象が残ったのは、この作家の筆力か。選材のセンスか。


『夢のなかの魚屋の地図』(井上荒野  集英社文庫)


 有名な小説家を父に持つ女性作家は結構目立つ。著者もその一人で、このエッセイ集でも父親や家族を題材にした作品が多い。やはり一般家庭とは少し異なる日常があり、それはネタになりやすいのだろうし、感性も磨かれるに違いない。読者にとっての「覗き見趣味」的な好奇心をそそるし、好条件が揃っている。


 本名だという名前、あの直木賞作品「切羽へ」が妹の名前であるという事実を知ると、どんな尖った生活をしてきたのかと想像してしまう。まさしくそういう面と、案外、平凡な食べ物に関する部分などが織り交ざって、読んでいて飽きなかった。個人的に共感したのは「人生に必要な三つのもの」「記憶」の2つだ。


 「記憶」は面白い。著者は「旅先のホテルなどで、備品のプラスティックのブラシを見ると」幼い頃のある記憶が蘇るという。それは取るに足りない友達とのある諍いの場面…似たような経験は自分にもある。些細な物事に接し、人生においてどうでもいい記憶がフラッシュバックする時、それは何だろうと常々思う。


 終章の「最後」という文も印象深い。幼い頃、食卓の紙ナプキンを畳んでいた記憶を語り、その「最後の一枚」はいつだったか思い出せないと書く。そんな日々の埋もれ方を「無数の、とるにたらない最後のときを積み重ねて、日々は過ぎていく」と著す。身辺雑記は、掬いきれない多くの出来事の膜のようなものだ。