すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

激変と言われ目を凝らすが…

2021年06月16日 | 読書
 『ドラゴン桜』は東大合格を目指す話ではあるが、その底に流れているのは、自己実現のための現実との向き合い方だ。まあドラマなので、当然演出は現実とかけ離れた部分が多く脚色だらけだ。ただ、15年前と変わらず人気があるのは、東大を頂点とした社会構造がまだ健在である証拠とも言える。さみしい現実。




『教育激変』(池上彰×佐藤優  中公新書ラクレ)


 この対談集は大学入試改革を取り上げているので、ドラマのことが思い浮かんだ。エリートの不祥事、腐敗のことから、それを生む背景を探ると必ず「東大」の二文字は出てくる。受験によってヒエラルキーの上位へ行くことが目的化された結果ゆえの現象だ。その点が以前より固定化されてきたと、二人は繰り返す。


 「リアルな話をすれば、学者と官僚になりたかったら、やはり東大を目指すのがいいのかもしれません」(佐藤)という認識は、わかってはいても浸透せず拡大解釈される。だから、硬直した経営等に陥る様々な組織や企業では「学閥」的な動きが見られるのだ。今の大学受験制度が一種の視野狭窄を引き起こしている。


 「経済格差による教育環境の固定化」はより問題だ。ドラマでもそれに関わる出来事が設定されたが簡単に済まされた。その挙句「だからこそ這い上がれ」と常套句が使われたし、どこか時代錯誤の印象はやはり否めない。そう考えると、国の経済の歩みは、教育の機会均等の意味を形式化し固定化してしまったのだ。


 話題とされた「アクティブ・ラーニング」「道徳の教科化」「大学新テスト」等と全ては一連の流れに収まる。しかし、個々の場でそれらを担う者は眼前の課題だけで精一杯な状況に見える。根本原因として「真のエリート」の不在を嘆いても事態は改善しない。各々が「何のために」を問う習慣を身につけねば拓かず。