すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

それさえあれば、中古も新しい

2021年06月23日 | 読書
 新書を購読する率が高い。風呂場読書が多いのでそれもどちらかというと中古本だ。古くて何が「新書」かという思いもあるがそれはそれ。選び方は、本屋だとやはり題名・著者・発刊時期が観点だ。ネットで購入するのは、やはり誰かのお薦めであったり何かの情報収集であったり、こちらは、やや固定化傾向か。


『先生はえらい』(内田樹 ちくまプリマ―新書)

 知人に書いてもらった図書館広報のお薦め本として挙がった。内田フリークとしては発刊当時(2004)読んだはずと書棚を探したが見つからずに注文。中高生向きとはいえ、相変わらずの内田節満載の一冊だ。書名の意味は、つまり「学ぶ」とは何事か、「先生」という存在とは何かを示す。「学ぶ」ことの入門最適書だ。


 江戸時代の有名な川柳「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」に象徴されるように、先生像とは多種多様だ。しかし「先生」の定義をこう言い切った所に、さすが内田先生と、我は呼ぶ。「先生というのは、出会う以前であれば『偶然』と思えた出会いが、出会ったら『運命的必然』としか思えなくなるような人のこと





『つながる図書館』(猪谷千香  ちくま新書)

 たまには正面きって仕事の本を…と拡げて読み進めたら、頷きとため息を繰り返すことになってしまった。副題が「コミュニティの核をめざす試み」で、全国各地の「変わりつつある図書館の最前線」が紹介されている。もちろん職業上、情報として知っていた例もあるが、手の届かないもどかしさが再燃してしまう。


 当事者の一人として言えば、政治・行政のどのレベルが「動く」かによって、図書館とコミュニティとの関連性は規定される。これは逃げではなく意識改革、業務改善の冷静な戦略を練ることに直結する。今出来ることは「無料貸本屋に留まらない」「外へ仕掛け、内へ引き込む」という二つか。手をどこまで伸ばせるか。