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花と花のようなひとと

2021年07月02日 | 読書
 図書館のエントランス掲示に毎月載せている詩に、今月は内田麟太郎の「花」を選んだ。なかなか面白みがあり、同時に深く考えてしまうような句だ。FBにブログ紹介でアップした時、「貴方は『沼のカッパ』ですか、『川のカッパ』ですか」などと意味深な問いかけをしてみたが、自分は間違いなく「沼」派だろう。


 名前がそうだからということではなく、一箇所に留まってきた今までを思えば、それしかない。ところがそのくせどこか他に「花」を求めていたような気持ちも残っている。ありがちな象徴ではあるが、人は誰しも花を咲かせたい。詩では「蓮の花」になっていて、実に渋い(笑)。さて、佐藤正午の文庫本を読んでみた。


『花のようなひと』(佐藤正午  岩波現代文庫)



 画家牛尾篤とのコラボで、単行本の2冊分を文庫にしたようだ。カバーには「日々の暮らしの中のなにげない出来事、揺れ動く心象風景~その一瞬の物語を“恋愛小説の名手”がさまざまな花に託して描き出す」とある。28ある掌編は読み切れなかったという印象が強かった。花の知識がないことも原因ではあるが…。


 正直、心の機微に触れる感じが生まれなかった。唯一「ホームルーム」という話…教師が玄関先の曲がった茎の花を、生徒たちに喩えて語る件は妙に共感できた。職業柄というものか。ちょっと寂しい読者だ。「花のようなひと」は「ひとのような花」とどう違うのか。多くの人は前者のようにありたいと願うだろう。


 ただし、花も様々。花屋に並ぶ高価なもの、野生に群がるように咲く花、砂漠に一本だけ伸びる花…どんな姿をイメージし、自分を投影できるかだ。もう一つの「幼なじみ」という短編小説は面白かった。設定も筋も違うか、あの名作『月の満ち欠け』を連想させ、人の本質が「いつ」立ち上がるか、教えてくれる。