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誰もが穴のあいた服を着る

2021年12月27日 | 読書
 『正直に語る100の講義』(森博嗣)から覚え書きとして、心に留めておきたいいくつかのこと。




 7/100 「自分にできることをしよう」というのは素晴らしいモットーではない。

 「できることをしない人が多いから、それを揶揄している響きを感じるだけ」と言い切る。あまりに当たり前のことを何か大そうなことのように表現する典型か。もともとは「できることを続けよう」だったのではないかという推察も納得だ。その前半部分だけ残ったのは、つい安易なことに変換する人間の性なのか。


 17/100 自分が何者かという観測が戦略において最も重要な情報だ。

 カーナビが従来の地図より優れているのは「現在地を示すから」という記述に、今さらながらほほおっと思う。様々な地図(仕事の方法、生き方など含め)があるが、まず現在地つまり自分に関しての視点をしっかり持たなければ、足を進めることができない。要は自分についての「幅を持った観測」が必要なのだ。


 63/100 「穴のあいた靴下を履いています」と言うと、眉を顰める人が多いが。

 これが、言葉に対する安易な変換(思い込み)の典型的な例だ。「穴のあいた靴下」で思い浮かべるイメージは、足裏から小さく皮膚がのぞくこと。しかし、全ての靴下には穴が開いているではないか。ジョークとして通用しそうだが、シャツもズボンもそうだと考えると、言葉は言葉通りに通じていない証拠になる。


 75/100 「個性派」と謳われたものの画一さといったらない

 俳優などによく使われるが、著者は「役に合わせて変幻自在に対応できる俳優は、個性派と呼ばれない」事実をストレートに述べる。そういう認識を持つと評価の観点は大きく違ってくる。個性派が一つのパターンになっていて、ただ不器用なことをユニークと言い換えているだけか。変換に潜む真実を見る思いだ。