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おぼえた言葉は捨てられない

2021年12月16日 | 読書
 学生時代にほんの少しだけかじった現代詩の世界。田村隆一の詩集も本棚にはあった。しかし、いわゆる「荒地」の詩人には馴染めなかった。ただ、この文庫に載せられたいくつかの詩のフレーズは、微かに頭の中に残ってはいた。難解と感じた時から40年以上漂っていた言葉の欠片が、心の岸辺へ打ち寄せた。




『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』
  (田村隆一・長薗安浩  ちくま文庫)



 副題は「詩人からの伝言」。そもそも単行本のタイトルはそれだった。田村が語り、それを長薗が文に起こし、話(章)ごとに詩が添えられた構成になっている。解説が俳優山﨑努、そして山﨑と長薗の対談があり、新たな文庫化で穗村弘も解説文を寄せている。田村隆一という詩人の世界が、ゆるやかに語られている。


 この文庫を注文したのは、先月読んだ対談集『「言葉」が暴走する時代の処世術』(太田光・山極寿一)がきっかけだ。話の中に登場した、その書名のフレーズはなんとなく記憶にあった。「長いまえがき」で長薗は、雑誌編集者としてこの内容を企画するにあたり、頭の中にある思い浮かぶ詩として一人書きつけたのだった。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか

 (「帰途」より)

 言葉で表される「言葉のない世界」という、あまりに逆説的なイメージを、人はどうとらえることができるだろう。言葉を操る詩人が欲するのは、間違いなく確かな五感で自らの心身に引き寄せたものだし、どう表出するか苦闘したあげくにたどり着くはずだ。その過程で見える、あまりに手垢のつきすぎた言葉たち。


 今は言葉だけが先行し、自動化されたように乗り回されている。道具の一人歩き。それに身を任せる者、振り回されている者、そこから逃げようとする者…人はしっかりと言葉と対峙しなくてはいけない。まず思考し、自己対話するために言葉を遣おう。ヒントは、詩人の言葉の中に多くある。例えば、こんな一節も。


きみは写実に生きるべきだ
五官以外のものに頼るな
肉眼の世界だけを信じることだ

 (「反予言」より)