すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ランドクじゃ締まらないか

2021年12月30日 | 読書
 昨日から年末年始の休みに入り、さあ片付けと思ったが、またいつものように徒歩に暮れていて捗らない。
 その捗らない自分をまた納得しているこの頃で、それもまた余裕があるということか。だらだらと読み続けていることは確か。


『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか』
 (立川志の春  星海社)


 落語家が書いたビジネス書らしいと思い手にした。立川流はやはり多彩な人材がいる。著者はイェール大学を出て三井物産に入社し三年目に、志の輔の落語に出会って人生を変えていく。全体的には、落語のススメといっていい内容で、承知している部分も多かった。
 ただ改めて納得したのは、話すことにおける「まくら」の汎用性、そして「師弟関係」の本質という2点がある。
 汎用性とは短く言えば本題についての「当たり」と「リンク」である。常にそこを意識していればよい。
 また、師匠と弟子という呼び名が成立するための条件は、「いかに同化できるか」にかかっていると、柔な精神では足を踏み入れてはいけないと反省させられた。
 それにしても、ああ今年は生の落語を聴いてなかったなあと、今思い出す。




『記憶のつくり方』(長田弘  晶文社)

 久しぶりに絵本以外の本を図書館から4冊まとめて借りてきた。その1冊目。一行30字で40行ほどの体裁で「忘れたくないことだけを誌した」、そして詩かエッセーかの受け止め方は読者に任せたい旨が、あとがきに記されている。
 幼い頃の思い出、旅、食べ物などテーマは様々だが、一貫して「落ち着き」のある文体に読み入ってしまった。性急に結論を求めたり、饒舌な説き方をしたりしない。この詩人のエッセーや絵本など手にするようになり、そのいずれにも共通するイメージが、この本の活字である「緑」に近い気がした。深い人だ。
 「一人の日々を深くするものがあるなら、それは、どれだけ少ない言葉でやってゆけるかで、どれだけ多くの言葉ではない」
 そう、人生に形容詞ばかり求めているような我が身が浮かび上がってくる。