すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

テヤンディ、ランドク

2021年12月06日 | 読書
 「偏った読書」とまた書きそうになる。別に正当や中道を求めている訳でないし、あくまでも趣味なのに何故そんなことが浮かぶのだろう。結局どこかに常識的なイメージから逃れられない割に、それから外れている自分を評価したい気持ちもあるのか…と癖あり気な書き方をして、全くお前さんときたら…と落語口調で…



『体癖』(野口晴哉  ちくま文庫)

 秋になってから読んだある本で紹介されていたので、書名も気になり注文していた文庫。著者の本はかなり以前にも読んでいる。身体の本質を考えさせられる内容だった。
 今回、実は肝心の「体癖」の各論は難しく読み切れなかったのだが、初めの「人間における自然ということ」の30ページあまりは非常に刺激的であった。
 人間の世界は確かに進歩したが、人間自体の心身は昔の人より劣っていることが多々あるとは、幾多の賢者たちが指摘している通りだ。著者はさらに鋭く、人間の「自壊現象」を危惧している。現在の感染症のことと重ねあわせたとき、この一節は重く受け止めたい。
「自然の淘汰ということは体の鈍りと関係がある」。
 不眠に悩む我にはさらに厳しい一言があった。
「健康に至るにはどうしたらよいか。簡単である。全力を出し切って行動し、ぐっすり眠ることである」


『落語の聴き方 楽しみ方』(松本尚久 ちくまプリマ―新書)

 書名だけ見て表紙もあまり見ず手にしたからか、読み終わってからこう思った。「ほう、これでプリマ―新書ね」。
 俄か落語ファンでしかないが、結構学術的に思える内容が詰まっていた。能や人形浄瑠璃、歌舞伎、漫画や映画まで取り上げながら、落語を分析している一冊だ。
 冒頭の「悲劇」と「喜劇」の線引きの話から、「落語を聴いてなぜ笑うのか」という流れから、上方と江戸の落語の特徴と違い、さらには個別の落語を例にして「噺」の本質というところまで論を伸ばしている。印象としては、中高生というより大学や一般向けの講座としてふさわしい気がした。
「落語はつねに、自分を客観的に見ることを求めます」
…単に楽しむレベルでも、もちろんいいだろうが、この噺で「なぜ笑ったか」と一つ俯瞰できれば、また次の噺との出会いも少し深まる。聴き方が楽しみにつながる。