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老いを育てる人

2021年12月11日 | 読書
 先年亡くなられた、私にとって恩人であるS先生は、奥様を亡くしてから一人暮らしを続けていた。たまに訪問する時、目立ったのは家じゅうの貼りものであった。おそらく発生し続けるモノ忘れ対策、そして注意喚起。自分を維持し生活を営むための意志を感じた。教育者であった目は自らの「老い」に向けられていた。



『老いのゆくえ』(黒井千次 中公新書)


 著名な作家だが小説は読んだことがない。この新書は新聞夕刊に月1で連載しているエッセイの書籍化で同じ形での三作目になるという。書かれている内容は9割が老いに伴う身辺雑記、いや心身雑記というべきか。似たようなことの繰り返しに見える記述が、「読ませる」のはその自己観察と内面洞察の深さだ。


 著者は来年卒寿であり、自分にはまだ遠い…と思っても予感めく将来でもある。この書名が意味するところは、「死」でしかないという生物的結論は当然だし、そこから目を逸らしてはいけないと考えつつ、本気にもなってない我が身への予防接種のように読む。さて、この接種は何度受けたらいいのでしょうか。


 「整理で出現した過去」という章に共感した。プロの物書きほどの資料を持っているわけではないが、思いつきで整理を始める性癖を持つ自身を訝しがってもいて、この一節は忘れないだろう。「何かを棄てる時、決め手になるのは対象の要、不要ではなく、持ち主である自分とその相手との関係の切実さではないか


 6年前に大整理をし、それから幾たびか見直したが、近頃は「関係の切実さ」が違う局面を迎えているので、少し気合いを入れて整理したい。その結果きっと残る「未整理」な箇所がそっくり自分自身なのだと思う。「結局辿りつくのは、他人は他人であり、自分は自分」という諦念が、「老いを育てる」基本なのか。