昔、はじめてノザンブロットを習った時、ハイブリジュースも当然ながら手作りでした。デンハルト液というブロッキングのための液やサーモンスパームのストックなども手作りした記憶があり、私のとってはこの技術は大昔からあるものという印象があります。しかし冷静に考えてみれば、利根川博士がノーベル賞受賞となった仕事をしたころにはサザンブロットでさえなかったのですから、科学の歴史から見るとこうした技術はそう大昔に生まれたものではないのです。ただ自分が実験を始めた頃にすでに教科書に載っていたということで、ずっと前からある古いものという印象を持ってしまったのでしょう。デンハルト液は手作りしたので、それは3種類程の薬品を混ぜてつくったもので、そのうちの一つはポリビニルピロリドンであったことをいまだに覚えています。こんなことを書いているのは実はこの間、デンハルト博士に会って話をする機会があったからなのでした。デンハルトという名前を聞いて、当然のように私はデンハルト液を思い出したのですが、まさかその人がデンハルト液を発明した本人であるとは思わず、デンハルトというのは意外によくある名前なのだなあと勘違いしたのでした。というのも私の頭の中では、デンハルト液は大昔に考えられたもので、それを創った人はとっくの昔に引退したか死んでしまったに違いないという無根拠な先入観があったからでした。だからその本人であると知った時は、お富みさんではないですが、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のなんとやらと思うほどびっくりしたのでした。生身のデンハルト博士はごくふつうの研究者で最近の仕事ではオステオポンチンのノックアウトを作ったことで知られているらしいです。(私は実際に会う直前まで知りませんでした)ですから、私のやっている骨格研究と多少のつながりもあったのでした。せっかくなので、本人からオステオポンチンがステムセルの維持や骨格系でどういう分子機能をもっているのか聞いてみたのですが、「よくわからない、細胞の生存を促進するようだが特異的な機能はない」みたいなことをつぶやくのみで、なんだかもう余り興味がないようでした。とにかく、私にとっては思いがけない歴史との邂逅であって、本人が現在どんな研究をやっているかということよりも、この人があのデンハルト液を作った人かあという妙な感激の方が強く心に残ったのでした。科学界のいろいろな有名人を講演やセミナーで間近にみたことは何度もあるのですが、いわばそのようなスターとは言えないデンハルト博士に会ったことの方が強い印象に残りました。大げさに言えば、それはおそらく、昔、実験室で一人でデンハルト液を作っていた若いころの自分の個人的な経験と科学の生の歴史とが繋がった瞬間だったからなのだろうと思います。一方、現在トップクラスの研究者はその仕事をまずリアルタイムで知っていることが多いので、生で見ても、芸能人を道ばたで見かける程度の感動しかないのだと思うのです。昔ひまだったころ、司馬遼太郎の時代小説を読んで主人公が渡ったという橋を探しに釜風呂で有名な京都八瀬の里を一人訪れたことがあります。小説からのイメージを頼りに人気の少ない八瀬の川沿いを散策していたら目立たない小さな橋の欄干にその名前を発見したのでした。何だかその時の感動を思い出します。現役の研究者に向かってこの喩えはちょっと失礼ですね。
あたりまえなのですが、現在からみた過去の中に時間的に連続した意味性、または因果性、を見つけることが歴史というものなわけで、改めて過去は現在と切れ目無くつながっているのだということを実感したのでした。
あたりまえなのですが、現在からみた過去の中に時間的に連続した意味性、または因果性、を見つけることが歴史というものなわけで、改めて過去は現在と切れ目無くつながっているのだということを実感したのでした。