百醜千拙草

何とかやっています

怪しいアメリカの正義

2007-07-17 | Weblog
国防省長官がテロの危険が9-11前のレベルにまで高まってきていると感じているとの発言が、イラク戦争にいい加減うんざりしているアメリカ国民の反ブッシュ感情をさらに煽り立てています。あれだけ大量の犠牲者を出しながら、大した成果も得られず、その見込みもないイラク戦争のそもそもの最初の建前は、イラクの保有すると思われる大量殺人兵器を根絶し、テロリストの温床を叩くということでした。イラクとアルカイダの関係をみると、すでにこの論理自体が国民の支持を得るための方便ででしかないことは明らかです。更に、数年にわたる戦争の結果が、イラクの政情は安定の兆しもなく、バグダッドやロンドンでは毎日のようにテロによる破壊活動がおこり、国防省長官までがアメリカでのテロの危険はむしろ高まっている(ように感じる)と発言した、というのですから、国民の堪忍袋の緒が切れそうになるのもやむを得ません。
始める前から結果の見えていたイラク戦争、アメリカのオイル利権確保のための言いがかり戦争によって多大な人的物的損害を出し続け、第二のベトナムと言われ、国民からも愛想をつかされた共和党政府ですが、戦争の勝利が全く見えず、ロスカットするしかない状況にありながら、現在多数派となった民主党や国民、一部の共和党員からのイラク撤退要請に対して何とかの一つ覚えのようにVetoを連発するしか能のない大統領、Lame duckの最後の悪あがきなのでしょうか。いまイラクから撤退すれば、すべてが無駄になるというのは間違いないです。しかしこのままずるずると負けが込んでいくのを意固地になって指をくわえて見ているわけにはいきません。すでに2,500人近くのアメリカ人が死んでいるのです。しかもブッシュは勝たねばならないと言いながら、勝算もなければ作戦も計画もないのです。勝負はトータルで勝たなければ意味がありません。そのためにもっとも重要なのは負けを最小に食い止めるためにロスカットできる能力ではないでしょうか。マッケーンのようにイラクからの撤退に反対している人は、すべてが無になるだけでなく、逆にアルカイダなどのテロ活動の活性化を呼ぶことを懸念しているわけです。しかし、そもそもイラク侵攻はテロへの予防的攻撃だというのはオイル利権確保という本音を隠すための単なる建前であり、実際フセインとアルカイダは直接関係はないようですし、事実イラクには大量殺人兵器は見つからなかったわけです。正直な人間であれば、そこで過ちをみとめて謝罪すべきところなのでしょうが、そもそも戦争の建前には何の本音もないのですからアメリカがそこで引くはずはありません。いつもの通り、アメリカの国益のために理由をでっち上げて戦争を始めたあとは、無理を通して道理をひっこめさせるいつもの手口でいけるだろうとの甘い読みだったのでしょうが、やるにしてももっとイスラム系のメンタリティーとか十分研究してからやるべきでした。アメリカ流民主主義が常に善であるという思い上がり、善いものは皆が受入れるべきだとの勝手な価値観の押しつけ、数え始めたらきりがありませんが、アメリカ政府の言い訳を聞いていると反吐がでそうになります。その身勝手ないじめっ子みたいなアメリカ政府のご機嫌とりばかりに終始している日本政府も情けないです。泥沼のイラク戦争でアメリカ国内にも様々な弊害が出て生きています。アメリカはご機嫌取りの日本にそのツケを回してくるのは間違いないです。実際、日本はこれまでも自衛隊の派遣など明らかに違憲でありながら、建前もプライドも捨ててアメリカの飼い犬となって奉仕してきているのです。アメリカには絶対服従という点だけは一貫しています。民主主義を謳いながら、これほど国民を騙し国民から搾取することばかり考えている政府は見た事がありません。国民はどうなっても自分たちさえよければよいという態度が政治家官僚に染み付いているのでしょう。
以前にもちょっと触れましたが、民主主義というものは本当の意味でこの世の中に実在しているものでしょうか?戦後生まれの私は民主主義は正しく、人類は皆兄弟、国民は平等であると教えられてきました。アイデアとしては何の異論もないのですが、それは本当にあるのかと問われるとうーむと唸ってしまいます。十年程前、下河辺美知子さんが、トーマスジェファソンの書いたアメリカ独立宣言の出だしについて考察しているのを読んだ覚えがあります。第三代のアメリカ大統領のジェファソンは、バージニアの出ですが、バージニアは産業的には南部で、当時はアフリカ人奴隷を使ったプランテーションが盛んに行われていました。当然ジェファソンも黒人奴隷を所有しており、奴隷の一人との間に私生児をもうけたことは有名な話です。そのジェファソンが書いた独立宣言は、こう始まります。
「われわれは以下の原理を自明のことと考える。まず、人間はすべて平等に創造され、創造主から他にゆずることのできない諸権利をあたえられており、それらの中には生命、自由、幸福の追求の権利がある。次に、これらの権利を保障するためにこそ、政府が組織されるのであり、政府は、おさめられる者の同意によってのみなりたつ。さらに、いかなる政府であれ、この目的をそこなう場合は、政府を改変、廃止して、国民の安全と幸福とを最大限に達成できるような原理や仕組みにもとづいて新しい政府を樹立するのが、国民の権利である。」
奴隷主のジェファソンが、人間はすべて平等に創造され、云々と述べているわけですから、奴隷は人間ではないと思っていたのでしょう。一番の論点はそうした言行不一致ではなく、「われわれは以下の原理を自明と考える」という出だしの文句です。これが科学論文であれば、一発で突っ込まれてアウトですね。自明のことを言うのにわざわざ「自明であると考える」と言っているのですから、実は、全然自明でないことを証明しているようなものです。つまりそれを自明でないと考えている人が他に(イギリス国王とか)いっぱいいるから、アメリカ植民地にいる者は自明と思っていると(自分は)考えたいという願望を述べたわけです。自明であったらいいなあという希望ですね。よって独立宣言で宣言されている、民主主義政府というのは根拠のない願望に基づいているといってもよい。それでも、そもそも正しい正しくないという判断に絶対的な根拠などないのですから、独立宣言の三段論法(人間は平等で幸福追求の権利がある、それを保障するために政府がある。よって、そうでない政府は改変、廃止されるべきである)を、アメリカ独立のための論理として使う分には特に問題もないと思います。しかしジェファソンが自明であると考えたかった民主主義の正義性が世界中どこでも成り立つのだと安易に信じているアメリカ国民、そしてその根拠の無い正義を建前に世論を操作し、国益(むしろ政治家自身の利益)のために不条理な弱いものいじめを繰り返すアメリカ政府をみていると、人類というものは成長しないものだなあと思います。
コメント
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