擁護しようとする意図はないのですが、前防衛大臣が「アメリカの原爆投下はしょうがなかった」と小さな集会で発言したことで辞任した件には、ため息が出ます。冷静に状況を見てみれば、選挙前のネガティブキャンペーンみたいなもので、いわば「揚げ足とり」なわけです。もちろんすべては政治ゲームであることを知り、大臣として発言には注意しないといけないことを承知しているはずの者が揚げ足をとられるようなことをした、つまりpolitically incorrectであった大臣の方が悪いことに間違いはありません。防衛大臣でありながら、誤解を生むような発言をしたことにいいわけの余地はありません。そうはいうものの、発言があったのは参加80名の「比較文明文化研究センター」のセミナーだったらしいので、コンテクストによっては、別段日本の防衛省の見解ではなく、個人的な意見または、単にアメリカ側の原爆への見方を紹介しただけであったのかも知れません。ため息がでそうになるのは、防衛大臣のきわどい発言を意図的に誇張して、これを無責任に煽り立てるマスコミとそれを政治的に利用しようとする者の醜悪さです。またマスコミの報道に安易に乗せられてしまう一般国民というのもどうにかならぬものかと思います。
「しょうがない」発言の理由を理解するために、少し日本の外から原爆の経緯を見てみると、戦争も末期に入ってからソ連が火事場泥棒的に戦争へ介入しようする動きを封じるためにアメリカが戦争を早期に集結させる必要があり、原爆が落とされたというのは、多分そうなのだろうと思います。もしそこで戦争が終わっていなければ、ソ連の介入によって日本(そして世界)はもっと悲惨なことになった可能性もあると思います。アメリカにとってはソ連を食い止めるために戦争に勝って日本を占領下におくことは絶対であったはずです。そんなソ連に戦争終結への仲介を期待していた日本も余りにナイーブですが、過去を歴史の必然という点から振り返ってみると、戦争があそこまでこじれた以上、最後の手段として、原爆投下というのはやはり必然的におこるべくしておこったものであると感じざるを得ません。もちろん、原爆を被爆者や一般日本人の立場から見れば許されないものであることに異論はありません。「はだしのゲン」を子供の時に読んだ時の強い印象はいまでも覚えています。原爆についてのその他の本も小学校の時に夏休みの課題図書として読んだ記憶があります。子供が読んで楽しい本ではありません。しかし戦争の悲惨さを子孫の骨身に刻んで二度と戦争をおこさないようにするための戦後日本の(あるいはアメリカがそれを主導したのかもしれませんが)努力の一環だったのだと思います。私は当然ながら戦争を知らない子供たちの一人なわけですが、子供の頃のこうした教育のせいか、戦争が絶対悪であることは信じています。
原爆投下を正当化しようとしているのは、戦争を政治のレベルでしか議論できない立場の人、または戦争によって殺し合うということが人間のレベルでどういうことであるかを理解できない想像力の欠如した人(つまり前者にのせられた一般人)なのだと思います。そういう歴史から何も学べないような未熟者がアメリカだけでなく日本にもいかに多くいることでしょうか。日本の防衛大臣がたとえどういったコンテクストであったにせよ、市民との対話というの中で人間レベルでの原爆の影響や被爆者やその家族親類の人々の痛みといったことよりも、政治的なレベルを優先させたような発言はまずかったと思います。これではこの大臣のリーダーシップでは日本の平和は危ないと国民が思うのも無理ないでしょう。おまけに非難に対して「誤解したほうが悪い」という発言したらしいですから、自分の立場や行動に対する理解力はかなり低いと言わざるを得ません。まあそれにしてもマスコミと政治家の茶番劇はなんとかならぬものでしょうか。
「しょうがない」発言の理由を理解するために、少し日本の外から原爆の経緯を見てみると、戦争も末期に入ってからソ連が火事場泥棒的に戦争へ介入しようする動きを封じるためにアメリカが戦争を早期に集結させる必要があり、原爆が落とされたというのは、多分そうなのだろうと思います。もしそこで戦争が終わっていなければ、ソ連の介入によって日本(そして世界)はもっと悲惨なことになった可能性もあると思います。アメリカにとってはソ連を食い止めるために戦争に勝って日本を占領下におくことは絶対であったはずです。そんなソ連に戦争終結への仲介を期待していた日本も余りにナイーブですが、過去を歴史の必然という点から振り返ってみると、戦争があそこまでこじれた以上、最後の手段として、原爆投下というのはやはり必然的におこるべくしておこったものであると感じざるを得ません。もちろん、原爆を被爆者や一般日本人の立場から見れば許されないものであることに異論はありません。「はだしのゲン」を子供の時に読んだ時の強い印象はいまでも覚えています。原爆についてのその他の本も小学校の時に夏休みの課題図書として読んだ記憶があります。子供が読んで楽しい本ではありません。しかし戦争の悲惨さを子孫の骨身に刻んで二度と戦争をおこさないようにするための戦後日本の(あるいはアメリカがそれを主導したのかもしれませんが)努力の一環だったのだと思います。私は当然ながら戦争を知らない子供たちの一人なわけですが、子供の頃のこうした教育のせいか、戦争が絶対悪であることは信じています。
原爆投下を正当化しようとしているのは、戦争を政治のレベルでしか議論できない立場の人、または戦争によって殺し合うということが人間のレベルでどういうことであるかを理解できない想像力の欠如した人(つまり前者にのせられた一般人)なのだと思います。そういう歴史から何も学べないような未熟者がアメリカだけでなく日本にもいかに多くいることでしょうか。日本の防衛大臣がたとえどういったコンテクストであったにせよ、市民との対話というの中で人間レベルでの原爆の影響や被爆者やその家族親類の人々の痛みといったことよりも、政治的なレベルを優先させたような発言はまずかったと思います。これではこの大臣のリーダーシップでは日本の平和は危ないと国民が思うのも無理ないでしょう。おまけに非難に対して「誤解したほうが悪い」という発言したらしいですから、自分の立場や行動に対する理解力はかなり低いと言わざるを得ません。まあそれにしてもマスコミと政治家の茶番劇はなんとかならぬものでしょうか。