ユングのシンクロニシティ(意味のある共時性)を知って興味をもってから、現在おこっていることを自分の意識と関連づけ、意味性を汲み取る練習をすることで、多少の未来が私は見えるようになりました。実は、Laura Day の書いた「practical intuition」という本を偶然買って読んでから、ちょっと自己流で練習してみたのです。しかしその予測の精度は使い物になるほどのレベルに達せず、結局練習をやめてしまいました。今回、シンクロニシティを思い出したのは、アリゾナでの巨大なダストストームがあったとのニュースを見た事と、その前日にスタインベックの「怒りの葡萄」の映画を見たということからでした。 この映画はHenry Fordが主演した1940年のモノクロ映画です。怒りの葡萄は1939年に発表され、翌年スタインベックがピュリッツア賞を受賞することになった小説ですが、土地を追われたオクラホマの小作農の一家がカリフォルニアへ向かい、更なる試練にみまわれるという話です。このオクラホマ農民のカリフォルニアへの大量移動は、1930年代の無謀な農耕計画によって中南部の大平原の土地の荒廃を来した事がきっかけとなっています。草原の過剰な開拓によって、土地は乾燥しそれが東へと吹き飛ばされて巨大なダストストーム(ダストボウル)が起こりました。それは更に肥沃な土の喪失となり、結局、大平原の農民たちは土地を捨てざる得なくなり、数十万人レベルの難民の西への大移動となったという事件が小説のもとになっています。持たざるものを搾取するカリフォルニアの大農園主、それに対して労働組合を組織しようとする労働者への弾圧などの社会問題を取り上げ、そんな中で貧しくも力強く生きる一家を描いています。小説は聖書のエジプト脱出のエピソードに掛けているとも言われています。生まれ育った土地を捨てて脱出するというモティーフを持つ話には当然ながら似かよった雰囲気があります。「怒りの葡萄」を見て、なんとなく思い出したのが「屋根の上のバイオリン弾き」でした。帝政ロシアのユダヤ人弾圧によって、土地を追われてアメリカへ脱出するところで話が終わるのですが、そうした苦境にあるからこそ、弱い人々はよりお互いを支え合い心を通わせ苦難に耐える力を見つけるのでしょう。そうした人間の根本的な力強さみたいなものをこれらの映画は描き出しています。「屋根の上のバイオリン弾き」での名曲、「Sunrise, sunset」は主人公の意に反して、仕立て屋の男と結婚してしまった長女の結婚式の場面で流れます。その結婚式を見守る主人公の、子供の幸せを願う気持ちがにじみ出ているいいシーンだと思います。結局5人の子供たちは誰一人、自分が望んだような選択をしてくれなかったのですが、それを親として認めていくその過程がコミカルに描かれています。屋根の上のバイオリン弾きの中での私の好きなもう一つの曲は、「If I were a rich man」で、あの妙なスキャットは何ともいえませんね。一人で実験室にいるときなどにふと頭に浮かんできてつい口ずさんでしまったりすることがあります。
屋根の上のバイオリン弾きとは、不安定なユダヤ人の生活を表す比喩なのですが、不安定といえば研究者もそうです。まあ安定なものなど何一つありませんから研究者に限りません。Cliff Hangerでないだけましですか。
と、ここまで書いていたら、もう一つ悲しいシンクロニシティがありました。日本のユング派の先駆けである河合隼雄さんが亡くなったとのことでした。河合さんの話を生で聞いたのはもう十年以上も前の学会の特別講演でした。唯物的近代科学の手法を用いて研究を行う科学系の聴衆には、河合さんの話はかなりうけが悪かったように見えましたが、(唯物論を完全に肯定しないという立場での)神秘主義であった私には、なかなか面白い話でした。また、精神科の授業で唯一未だに覚えているのが箱庭療法で、ポリクリのときにみた箱庭の印象が残っているのですが、箱庭療法を日本に紹介したのも河合さんでした。鈴木大拙と河合隼雄はスタイルや研究の内容は違っても、近代日本のスピリチュアルリーダーでありました。その仕事はこれからも多くの若い人々によって更に受け継がれていくことと思います。
屋根の上のバイオリン弾きとは、不安定なユダヤ人の生活を表す比喩なのですが、不安定といえば研究者もそうです。まあ安定なものなど何一つありませんから研究者に限りません。Cliff Hangerでないだけましですか。
と、ここまで書いていたら、もう一つ悲しいシンクロニシティがありました。日本のユング派の先駆けである河合隼雄さんが亡くなったとのことでした。河合さんの話を生で聞いたのはもう十年以上も前の学会の特別講演でした。唯物的近代科学の手法を用いて研究を行う科学系の聴衆には、河合さんの話はかなりうけが悪かったように見えましたが、(唯物論を完全に肯定しないという立場での)神秘主義であった私には、なかなか面白い話でした。また、精神科の授業で唯一未だに覚えているのが箱庭療法で、ポリクリのときにみた箱庭の印象が残っているのですが、箱庭療法を日本に紹介したのも河合さんでした。鈴木大拙と河合隼雄はスタイルや研究の内容は違っても、近代日本のスピリチュアルリーダーでありました。その仕事はこれからも多くの若い人々によって更に受け継がれていくことと思います。