百醜千拙草

何とかやっています

ロレンツの蝶

2008-05-20 | 研究
MIT気象学者、エドワード ロレンツの先月の死亡を伝える記事がNatureに出ていました。1917年生まれなので91歳です。多くの他の人と同様、私がはじめてロレンツの名前を知ったのは「ロレンツのアトラクタ」からです。彼は、1963年の「決定論における非周期的フロー」と題された論文で、上方の冷たい液と下方の暖かい液が交じり合う際におこる動きをコンピュータシミュレーションする実験結果を示し、流れは非常に不規則に起こり、そのパターンは初期条件の極小さな変化に鋭敏に影響されるということを発見しました。この実験でロレンツが温度と流れの対応グラフを描いてみると、このグラフは蝶の羽の型のように二つの焦点をもつような型となり、このグラフのパターンが「ロレンツのアトラクタ」として知られるようになったのでした。この初期条件に非常に鋭敏なシステムは自然の多くの例に見られ、このことがカオス研究の先駆けとなりました。カオス研究は、初期条件が決まれば運命は決定的に決まると考える「決定論」に対する批判となりました。事実、コンピュータシミュレーションを使った実験で、複雑な系では条件をより詳しく設定すればするほど、その結果はより大きく変動することがいろいろな例で知られており、長期に渡る気象の予想や環境の予想は不可能であると考えられています。このロレンツの仕事は、非線形系、複雑系の研究を巻き込んで、カオスブームとでもいうべき研究の流れを作り出しました。その様子がJames Gleickの「Chaos」という一般向けの本に描かれています。日本でもベストセラーとなり、新潮文庫にも収められています。この本が出たのが80年代の終わりで、(一連の宇宙ブームを始めとする科学ブームと重なっています)私のカオスに対する理解も殆どこの本によっています。その中でも紹介されているロレンツの言葉から、「バタフライ効果;butterfly effect」という言葉が一般にも広まりました。これは複雑系の初期条件への鋭敏な感受性を比喩的に述べたもので、オリジナルは1972年のアメリカ科学振興協会(AAAS)での彼のトークのタイトル、「ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こすか?」です。このバタフライ効果をあらわす言葉にはいくつかバージョンがあって、私が最初に知ったものは、中国での蝶の一羽ばたきがアメリカで台風となる、というようなものでしたし、その後、ブラジルのかわりにアマゾン、テキサスのかわりにグアテマラなどに置き換えられたバージョンを目にしました。数年前には、アメリカのTVシリーズで人気が出て映画に進出したAston Kutcherという若手男優主演の「Butterfly effect」という映画も作られました。ロレンツの研究が火付け役となり、James Gleickの本を通じて市民権を得たカオス研究が社会一般に広く知られた結果だと思います。私の手元には、2冊の小学館のプログレッシブ英和辞典があって、一冊は1986年の第二版、もう一冊は第四版なのです。ちょっと見てみると、Butterfly effectは第二版には見当たりませんが、第四版には収載されています。おそらく、この言葉はJames Gleickの本のヒットによって広まったのでしょう。ロレンツは36年前にトークタイトルに使った例えが、現在のハリウッド映画のタイトルにまでなるとは 、予測できなかったに違いありません。はたして、36年前に彼が「蝶」というかわりに「蚊」と言っていたら、映画はヒットしたでしょうか。
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