百醜千拙草

何とかやっています

日米医療政策に思う

2009-07-24 | Weblog
アメリカでは、長年の懸案であったヘルスケアのリフォーム法案をオバマが8月の議会休会までに通したいということで、賛否の激しい対立の中で議会は揺れています。先進国の中で、唯一、アメリカだけが国家的な健康保険制度を持たず、民間の健康保険機構(HMO)に頼っています。また、HMOは民間である故に、その収入の1/3が役員の賞与や事務費用など、医療と関係のない所に使われ、そのために、特に自主加入する場合健康保険の保険額は高額となり、健康保険に入れないという人も大勢います。また、仮に健康保険を持っていたとしても、重篤な疾病に罹患し、高額医療となった場合に、HMOの支払い拒否などのため、患者側は十分な医療が受けれない、あるいは、受けられた場合も医療費の支払いために破産してしまう、などのcatastrophicな事例が後を立ちません。国民が皆、保険を持てる国家的健康保険制度にしよう、というのが今回の法案の主たる目的と思いますが、この運動は今に始まったわけではなく、過去、アメリカで何度も取り上げられては、廃案となってきた問題です。医療や医療保険をビジネス活動という点から捉えたい人々にとっては、国の介入は歓迎されません。HMOは抵抗していますし、多くの医療機関でも、健康保険制度の改革によって、急激な患者の増大が見込まれることになり、現場のキャパシティーや医療コストの点で大変な負担増となると、反対する所が多いようです。また、従来のHMOで保険を買うことのできない低所得者には国が補助することになるでしょうから、その費用をどうするのか、と例によって共和党を中心に反対の声があがっています。金の問題は、いつも最も大きな障害となります。日本経済が良かった頃、日本の医療は総じて世界トップクラスのケアであると私は思っておりました。(今はよく知りません)しかし、同様に国民皆保険制をとるイギリスでは医療は崩壊しています。医療費削減の圧力が強く、高額医療となるような患者は診療しないという風潮が強いようです。つまり、助かる患者であっても、助けようとする努力が金銭的に見合わないと助けないということだそうです。結局、自腹で金を積むことのできる人しか、昔の日本なみの医療は受けれないということのようです。二十年前は、私は日本の医療がサービス業であるという意識は殆どありませんでした。少なくとも一線の国公立病院の医療は国や自治体の福祉の一端であると思っておりました。一つはまだ医師の数が少なく、医師が患者さんに対してoverpowerであったことがありますし、もう一つは、日本経済が良かったので、支払い基金も比較的潤沢であり、患者さんをお客さんという扱いにする必要がなかったということだと思います。それはそれで功罪ありますが、その後、医療費の抑制という意図があったのでしょう、政府が医療はサービス業であると明言しました。つまり、よいサービスを受けたければ金を積みなさい、お金のない人の医療が悪くなるのは医療が(福祉ではなく)サービス業だから当然だ、医療機関はサービスを良くして競争しなさい、というメッセージを送ったのだと思います。医療機関に対しては、これは、政府や自治体に頼らず、自己責任でやりなさい、という競争原理を押し付けたわけで、結果、中核病院であっても医療機関の第一の目標は「地域住民の健康増進に向けての貢献」から「経営の安定化」へとシフトせざるを得なくなりました。一方、アメリカでは昔から医療はサービス業であり、金の多寡によってサービスが変わるのは当然だという意識がありましたから、国民が健康保険というサービスをを持つ、持たないかは、各自の選択であると考える人が多いと思います。しかし、現在の余りに高い医療費のために、疾患を抱える患者の人生が、疾病だけでなく、経済的な面からも破壊されていくケースが余りに多くなり、経済の低迷とあいまって重大な社会問題となって再び注目を浴びるようになりました。昨年の大統領選で、アメリカ国民は、ヘルスケア改革を掲げたオバマ民主党を選びました。同党、テッドケネディーにとっては、ヘルスケアリフォームは悲願でもあります。現在、改革への強い抵抗にあってなお、ヘルスケアシステムの現状維持はこれ以上容認できない、というオバマは強い決意を見せています(この辺が、マニフェストの内容は選挙が終わったら、すっかり忘れてしまう日本の政治家と違うところですね)。そして、岡目八目でみれば、オバマの言うことは正論です。その正論に反対するのは、とりもなおさず、目の前の金の問題ゆえです。国民皆保険にするための金をどうするのか、医療費が払えなくて破産していく人の医療費をどう捻出するのか。とりわけ、小さな政府を好む白人保守派の多い共和党の反対は強いです。保守派とリベラルの視点の違いからくる意見の相違ですから、妥協点を見つけるのは容易ではありません。保守派の人々は、基本的には、自分たちの小さなコミュニティーの利益が最も大切で、アメリカの知らない所にいる貧乏人の問題は彼ら自身で解決すればよい、と思っているわけです。一方、民主党を主とする改革促進派は、自分たちの小さなコミュニティーの利益は、国全体としての繁栄と安定なしには、あり得ないと考えているわけです。保守派白人の裕福層は、アメリカ一般の国民が健康に安心して暮らせない状態でも、それは自分とは関係のない問題であると思っているということです。私はもちろん、世の中、持ちつ持たれつですから、汝の隣人が幸せでなくて、自分の幸せがいつまでも続く訳がないと思っています。オバマも、保守派にしつこく金のことで反対されるので、健康保険制度改革は、隣人愛の実現に必用なのだ、みたいな意味のことを言っていました。歴史を振り返れば、当然、アメリカの繁栄はアメリカ人全体の繁栄なしにはあり得ず、そのためには、自分さえ良ければよいというような、XXの穴の小さい考え方をいつまでもしていてはいかんというのが、たぶん将来的には常識となるであろう考え方でしょう。
 それで、高まる医療コストの問題と国民の健康維持をどう折り合いをつけるかという問題ですが、それはまた次回。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする