実験のデータがチョボチョボと出だして、今後の展開について、頭を悩ませています。データが出だして、次の一手を考えるというのは、研究のもっとも楽しいところの一つです。私は、携帯電話も持ってないし、ビデオゲームもしないし、iPodも聞かないのですけど、研究に関しては、流行もののハイテクの話を聞くと、やってみたくてムズムズします。数ヶ月前は、次世代シークエンサーを使った遺伝子発現解析の実験を始めることができました。ハイテクに手を出せば、意味のあるデータがでるとは限りませんが、新しいことに手を出すのはワクワクします。今回は蛋白発現解析をやろうとその準備をしています。十年前にICATという包括的蛋白発現解析法が開発されました。何年か前、その開発をした人に、ICATやりたいのですけど、と言ったら、ちょっと大変な実験になりますよ、といようなことを言われて断念したことがあります。ICATは、以来、洗練された型に進化して、数年前に、iTRAQというシステムが開発され、広く使われるようになりました。今回の私の実験ではRNAレベルの発現解析ではおそらく役に立たないなので、もっと簡便なDNA microarrayではダメなのです。それで、調べてみたら、近所にiTRAQができる施設があることがわかり、早速、話を聞きに行こうとしている所です。あとは、サンプルの問題とお金の問題ですが、何とかなるのではないかと思っています。もし、iTRAQがダメなら、昔ながらの二次元電気泳動ということになるのですが、随分昔に、二次元電気泳動に手を出して、玉砕した苦い思いでがあるので、二次元電気泳動には心理的に抵抗があります。それに、「iTRAQ]という「ナウ」な言葉(ナウという言葉がすでにナウでないですね)は二次元電気泳動みたいな大昔の教科書に出てくる様な言葉より、響きが良いです。「にじげんでんきえいどおー!」と叫ぶと、まるで忍者の使う忍法のようです。ただ、蛋白プロファイリングの問題は、差が出たピークをシークエンスするまで、それが何かわからないという点で、シークエンスには、1サンプルごとに手間とコストがかかっていきますから、DNA microarrayのように、一回やれば全遺伝子の発現パターンがすぐにわかるというわけにはいきません。それが、蛋白プロファイリングがmicroarrayなみに普及しない理由ではないかと思います。蛋白のプロファイリングにおいては、iTRAQでも二次元電気泳動に本質的には、そう大差はありません。しかし、RNAプロファイリングでのDNA microarrayとDifferential displayやSubtraction hybridizationには質的に大きな差があります。それが、microarrayが大普及した理由であろうと思います。
私は、普通に考えたら面倒に見えて、人が手を出さないようなところが好きです。そういう分野では、競争も低くなりますし、それに、大抵の困難はやってみれば、根性で何とかなるものです。聖書にも、「狭き門より入れ。滅びに至る道は広く、それを選ぶものは多い」とあります。広く通り易い道を通って、オリジナルな研究ができるのは最初の数人だけで、経済的、人的なハンディを抱えている私がそこを目指しても勝ち目はありません。幸い、私の扱っている細胞を分離するのはちょっと面倒なので、それをこうしたhigh throughputのアッセイに使おうということを考える人が少なく、余り競争相手はいません。こういう所では成功に必要なのは、根性だけです。
受験生の頃、競争の激しい難関校に合格することを「狭き門」と喩えていましたが、実社会では、実は逆で、狭き門は、むしろ競争の少ない所だと思います。一見、そこを目指すのがためらわれるような場所のことで、だからこそ、私のような弱小研究者がニッチを見つけることができるのだと思います。ピンチはチャンスであり、困難は祝福であるというのは、そういう意味ではないか、と思っています。
私は、普通に考えたら面倒に見えて、人が手を出さないようなところが好きです。そういう分野では、競争も低くなりますし、それに、大抵の困難はやってみれば、根性で何とかなるものです。聖書にも、「狭き門より入れ。滅びに至る道は広く、それを選ぶものは多い」とあります。広く通り易い道を通って、オリジナルな研究ができるのは最初の数人だけで、経済的、人的なハンディを抱えている私がそこを目指しても勝ち目はありません。幸い、私の扱っている細胞を分離するのはちょっと面倒なので、それをこうしたhigh throughputのアッセイに使おうということを考える人が少なく、余り競争相手はいません。こういう所では成功に必要なのは、根性だけです。
受験生の頃、競争の激しい難関校に合格することを「狭き門」と喩えていましたが、実社会では、実は逆で、狭き門は、むしろ競争の少ない所だと思います。一見、そこを目指すのがためらわれるような場所のことで、だからこそ、私のような弱小研究者がニッチを見つけることができるのだと思います。ピンチはチャンスであり、困難は祝福であるというのは、そういう意味ではないか、と思っています。