百醜千拙草

何とかやっています

ニューヨークと糞袋

2010-10-07 | Weblog
先日、15年ぶりにニューヨークを訪れて、昔の日本の友人に会いました。ほんの僅かな時間の滞在でしたが、やはりニューヨークはタフでないと生きて行けない所だなあ、と思いました。そんな場所で長年頑張っている彼らを見て、私も、「頑張らなあかんな」と関西弁でつぶやきました。

NYは15年ぶりといっても、不思議なことに何の感慨も湧きませんでした。15年前に泊まったホテルも昔のまま、深夜に1人寂しくピザのスライスを食べたホテルのそばの店もそのままありました。街並も全く変ったように見えません。ひょっとしたら同じ店員がいるのではないかとさえ思いました。着いてから、約束時間までヒマがあったので、うろうろ歩いて本屋に寄って本を買い、6番街のブルックスの前を素通りして待ち合わせ場所のホテルまで行きました。私も若くてお金があった頃は、毎年、ブルックスでシャツとネクタイを買っていました。今から思えばアホらしいことです。「口紅をブタにつけても、ブタはブタ」を実感して以来、衣料品は量販店で同じものをまとめ買いです。胴長短足低身長の日本人ですから、浴衣に丹前、下駄履きでカラコロ歩く方が、まださまになるでしょう。

ちょうど、その日はメトロポリタンオペラのワーグナーの初日だったようで、ニュースを見ると、有名人がきれいなドレスを着て集っている写真がありました。確かに人種の多様性という点ではNYに勝る場所はないだろうと思います。きれいな人、きれいでない人、普通の人がそれぞれの人種の中にいますね。そういう人々が着飾ったり、着飾らなかったりするので、見た目には本当に多様です。しかしどんな人間でもみんな基本は同じで、喰って寝て働く存在です。人間とは「下水管に目鼻」であると二日酔いの山下洋輔は言いました。中国の古人は人間(の肉体)を「糞袋」と呼びました。そんなことを思いながら、ニュースでのきれいなドレスを着て、メトロポリタンオペラに現れたメグ ライアンの写真を眺めました。

メグ ライアンと言えば、母親由来の染色体のみから発現する非コーディングRNA遺伝子を思い出します。Maternally Expressed Gene (MEG)と呼ばれる数々の遺伝子がありますが、そのうちの一つがRianと名付けられています。Rianはおそらく複数のマイクロRNAを作り出す長い前駆RNAの一部と考えられていますが、その機能についてはよくわかっていません。ところで、体細胞のiPS細胞への脱分化とその再分化の効率は、どの体細胞を材料に使うかによって随分、異なるのですが、その理由の一つとして、DNAのメチル化修飾の差がその原因に寄与していることが分かっています。とりわけ、このRianを含むこの遺伝子座は(父親由来のalleleがインプリントされており)、そのメチル化状態がiPS化の効率に重要だという近年の知見があります。

それはともかく、メグ ライアンであれ誰であれ、肉体という「糞袋」を抱えて、いずれ老いて死んで行くという点において、われわれ人間は皆、平等です。
あるいは、こういう見方はちょっと一面的過ぎるかも知れません。昔の中国の僧の問答に次のようなものがあるのを思い出しましたので追加しておきたいと思います。

雲巌が病気になった。道悟が問う。
道悟 「この糞袋を離れて、師兄とどこで会えるだろうか」
雲巌 「不生不滅のところで会おう」
道悟 「『不生不滅でないところでも会うことを求めぬ』とは言えんか」


(肉体を離れた所に不生不滅が別に存在すると考えてはならない、という意味でしょうか)
コメント
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