百醜千拙草

何とかやっています

裾野を削る

2013-04-02 | Weblog
日本からの論文出版数が低迷しているという柳田先生のブログの記事を読みました。

日本の論文数が外国に比較して地位低下が著しいとの記事をみました。
そうだろうな、とおもいます。
もう長らく続いている日本の研究費の集中、重点化、5年おきに生まれる新研究分野への研究費特化による研究者の先鋭化による結果に違いありません。
研究者といういきものはニッチ的なもので、たとえ年間50万円の研究費でもひとたび頂ければ一生懸命論文になるようなだれもやってないトピックを探して研究をするのです。
論文を書こうとする研究者の数が減ればとうぜん論文数も減るでしょう。こう推測します。


おっしゃる通りと思います。論文数や科学研究のアウトプットは、研究費を増やせば増えます。研究費を絞れば、論文は減り、成果は落ちます。当たり前のことで、私がなかなか鳴かず飛ばずで低空飛行しているのも、十分な研究費を維持していくのがなかなか容易ではないからです。研究費を絞ることが、長期の持続的活動が必要な科学研究にどのような影響があるか、研究者ならだれでも身にしみて想像できるでしょう。しばらくまえに、日本は科学研究への予算を増加したという話がありました。しかし、それは一部の既に大きな成功している研究室により選択的に資金を投下するというやりかたをしているようで多くの普通の研究室には恩恵はないようです。つまり、日本は研究費の分配が極端に偏っていて、必要なところに回らず、十分にあるところにはダブつくということが起こっているようです。結果、全体の資金の割に資金が足りないという研究者は逆に増えているのではないでしょうか。

アメリカではSequestrationの影響などで、かなりの額の研究費が一律に削られます。これまででもクリントン時代以前に比べて、グラント獲得の競争率は二倍以上に跳ね上がり、10人に1人しか貰えないような状況となっており、多くの研究者が何とかやりくりして青息吐息で生き延びているという状況での一律カットですから、これがアメリカの研究に与える影響は本当に深刻です。Science紙のEditorialでは、Bruce Albertsがいつになく激しくアメリカ政府の科学政策を批判しています(Am I wrong?)。

研究資金獲得の困難さが、優秀な研究者が生き残ることが、まるで宝くじ(を引く)ような状況に近くしてしまった、あるいはロシアン ルーレットという方が良い喩えかも知れない。私は間違っていますか?
The declining opportunities for research funding have made survival for some of the most able researchers resemble a lottery―or perhaps Russian roulette is a better analogy. The effect on the U.S. research system seems devastating. Am I wrong?


アメリカに比べて、日本の場合には、多分、しわ寄せはもっとも弱い立場の人間に集中すると思います。Albertsはアメリカ政府が長期的視野がないと嘆きますが、大学院大学を思いつきで増やし、そして当然のごとく急増した大学院生の雇用を一時的にまかなうためのポスドク計画などを見ると、日本の政府など短期的視野さえもない超近視的、行き当たりばったりの今さえよければそれでよいという政策しかしませんから、もっと深刻です。

科学研究を税金を使った投資である考えれば、その一つ一つの投資は極端な高リスク高リターンタイプの長期投資で、ほとんどの投資はリターンを生みません。それでも一発当たれば大きいので投資活動として成り立ってきたのです。そうであるのに、今の日本政府がやってきるように、過去に成功した銘柄に多額のカネを選択的につぎ込むことが賢いこととは私はとても思えません。もちろん、短期的には良いでしょう。しかし、そういう分野はすぐに競争が激しくなって投資のうまみは無くなってしまいます。そうなってから別の投資銘柄を探しても、そのときには選択と集中のおかげで、見込みのあった他の研究分野はもう衰退していますから手遅れになっています。そう考えれば、カネはまずは広く浅くバラまく必要があると私は思います。分散投資、Diversificationと言いますね。Diverseであることが状況の変化に適応する能力を与えます。今のような一将成って万骨枯る政策を取っていて、その一将が枯れたらどうするのか、と思います。

上のような理由で、私の予想は、日本の研究予算の増加にも関わらず、日本の研究アウトプットは低迷し続けると思います。それは中国から出るおびただしい数の低レベル論文を見れば想像がつきます。中国から出るハイインパクト論文はこれらの大きな裾野の上に積み上げられたものです。かつての日本もそうでした。しかし、今は、日本は裾野を削り、頂上の上に更に土を盛ることだけを考えているようです。それがどれほど不安定で、かつ長期的には意味の乏しいことか、ちょっと想像してみれば分かると思うのですが。
コメント
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