もうイヤなことは見も聞きもしたくない、自分の興味のある仕事に集中したい、というのが本音です。劣化していく一方の日本政府、官僚、マスコミ、企業、毎日、毎日、怒りが沸騰するようなニュースばかりイヤというほど目に入ってきて、正直、死にたくなるほどです。
それが、連中の目的なのでしょう。国民が、怒りの声を上げることさえ、イヤになるほど、デタラメをやり続けること、国民を徹底的にバカにして奴隷の身分であることを受け入れさせること、そのために情報を隠蔽し、マスコミに偏向報道させて、ウソの平和を刷り込み、都合の悪いニュースは芸能ネタで覆い隠す、それが連中のやってきたことです。そして、それでも声を上げ続ける人々の言論を封鎖し、恐怖政治によって、国民の口を塞ぐための法案が、通ろうとしています。
特定秘密保護法の対象は現段階で40万件と霞が関 いったいどこまでが「秘密」なのか (現代ビジネス)
戦前、戦中の時代に逆戻りしようとしています。明治の時代には、小林多喜二は、蟹工船を書いて、「不敬罪」と「治安維持法」で逮捕、起訴され、「危険思想取り締まり」で後日、築地警察署での拷問にあって死にました。少し前の山本太郎さんへの天皇陛下への手紙をめぐっての体制側の激しいバッシングをみると、不敬罪とか危険思想取り締まり、とか封建時代の思想が復活しつつある気配です。
戦後においても国家権力、例えば、検察も警視庁も体制側の利益を守ることしかしませんでした。「巨悪を眠らせるな」とかいうふざけたスローガンでデタラメをやり、政治謀略に加担し、無実の人間に罪をお仕着せ、民主主義を破壊しようとしてきた検察自身が巨悪に他なりませんでした。かつては田中角栄、知事抹殺された佐藤知事、裏金づくりの告発をしようとして逮捕された三井環さん、そして、小沢一郎氏やその秘書を見れば、全部が悪質なでっちあげで、体制側の利益のために冤罪を作り上げてきた国家権力の悪質さがわかろうというもうのです。
国家権力は、体制の利益を守り、国民を搾取し、コントロールするために働いてきました。今の「xxxが弱い」ゆえに重宝がられている操り人形は、まさに、体制側、官僚や財界の言うままに、何も見えず、自分が何をしているのかもわからないまま、日本という国を破壊していこうとしています。
本題に戻ります。「暗黒夜考」からも秘密保全法に関する記事をリンクします。
「日本版NSC設置法案」が今国会成立へ ~「秘密保全法」、更にその先にある”漆黒の闇”~
それが、連中の目的なのでしょう。国民が、怒りの声を上げることさえ、イヤになるほど、デタラメをやり続けること、国民を徹底的にバカにして奴隷の身分であることを受け入れさせること、そのために情報を隠蔽し、マスコミに偏向報道させて、ウソの平和を刷り込み、都合の悪いニュースは芸能ネタで覆い隠す、それが連中のやってきたことです。そして、それでも声を上げ続ける人々の言論を封鎖し、恐怖政治によって、国民の口を塞ぐための法案が、通ろうとしています。
特定秘密保護法の対象は現段階で40万件と霞が関 いったいどこまでが「秘密」なのか (現代ビジネス)
この法案の問題点は多くの識者に指摘されているが、最も危険なのは「特定秘密」の定義が曖昧なことだ。
官僚にとって、情報を独占することは規制権限を手にすることと同義だからだ。霞が関の裁量でどんどん「特定秘密」の範囲が拡大し歯止めがきかなくなる懸念はぬぐえない。
「特定」とは読んで字の如く「特に定める」もの。それが40万件にも及ぶと聞いて、多くの国民は首をかしげるのではないか。
当事者である大臣や幹部公務員ですら、どこまでか秘密なのか、どこからは話せるのか、全容を理解することなどできないのではないか。
だが、現状の特別管理秘密の扱いをみていると、何が秘密に指定されているか一切分からないうえ、その秘密の指定期間も大臣などの判断で永遠に更新されることが可能になる。秘密が永遠に秘密のまま闇に葬られる可能性もあるわけだ。
これは「国民の知る権利の侵害」などというレベルの話ではないだろう。民主主義国家とは何か、政府と国民との関係はどうあるべきか、という国家存立の根本にかかわる問題だ。
官僚にとって、情報を独占することは規制権限を手にすることと同義だからだ。霞が関の裁量でどんどん「特定秘密」の範囲が拡大し歯止めがきかなくなる懸念はぬぐえない。
「特定」とは読んで字の如く「特に定める」もの。それが40万件にも及ぶと聞いて、多くの国民は首をかしげるのではないか。
当事者である大臣や幹部公務員ですら、どこまでか秘密なのか、どこからは話せるのか、全容を理解することなどできないのではないか。
だが、現状の特別管理秘密の扱いをみていると、何が秘密に指定されているか一切分からないうえ、その秘密の指定期間も大臣などの判断で永遠に更新されることが可能になる。秘密が永遠に秘密のまま闇に葬られる可能性もあるわけだ。
これは「国民の知る権利の侵害」などというレベルの話ではないだろう。民主主義国家とは何か、政府と国民との関係はどうあるべきか、という国家存立の根本にかかわる問題だ。
戦前、戦中の時代に逆戻りしようとしています。明治の時代には、小林多喜二は、蟹工船を書いて、「不敬罪」と「治安維持法」で逮捕、起訴され、「危険思想取り締まり」で後日、築地警察署での拷問にあって死にました。少し前の山本太郎さんへの天皇陛下への手紙をめぐっての体制側の激しいバッシングをみると、不敬罪とか危険思想取り締まり、とか封建時代の思想が復活しつつある気配です。
戦後においても国家権力、例えば、検察も警視庁も体制側の利益を守ることしかしませんでした。「巨悪を眠らせるな」とかいうふざけたスローガンでデタラメをやり、政治謀略に加担し、無実の人間に罪をお仕着せ、民主主義を破壊しようとしてきた検察自身が巨悪に他なりませんでした。かつては田中角栄、知事抹殺された佐藤知事、裏金づくりの告発をしようとして逮捕された三井環さん、そして、小沢一郎氏やその秘書を見れば、全部が悪質なでっちあげで、体制側の利益のために冤罪を作り上げてきた国家権力の悪質さがわかろうというもうのです。
国家権力は、体制の利益を守り、国民を搾取し、コントロールするために働いてきました。今の「xxxが弱い」ゆえに重宝がられている操り人形は、まさに、体制側、官僚や財界の言うままに、何も見えず、自分が何をしているのかもわからないまま、日本という国を破壊していこうとしています。
本題に戻ります。「暗黒夜考」からも秘密保全法に関する記事をリンクします。
「日本版NSC設置法案」が今国会成立へ ~「秘密保全法」、更にその先にある”漆黒の闇”~
「日本版NSC設置法案」と、これとセットにて今国会での成立が目論まれている「特定秘密保護法」については、これまでのエントリーにて繰り返しコメントしてきたとおり、国家運営上、国民に知られてはまずい「不都合な真実」を”曖昧化”することを目的としたものであり、国民の目から存在そのものを覆い隠さんとするものである。
そして国家権力にとって都合の悪いことを暴こうとする”反乱分子”を如何様にもあぶり出しにして捕捉可能とする「天下の悪法」である。
即ち、表向きの理由として謳われている「外交」「安全保障」に関する内容は無論のこと、「TPP」や「原発」など、国民に知られちゃマズイ話は”恣意的”に「特定秘密」として如何様にも”もみ消し”が可能だということである。
更に「日本版NSC」については、「首相+3閣僚(外相・防衛相・官房長官)」の4名だけで外交・安全保障政策上の司令を発令できるというのであるから、これは事実上の”独裁”と言っても過言ではないであろう。
、、、
「もはや”ネット言論”は危険」
戦時下さながらの言論統制・思想弾圧が現実のものとなれば、新聞・テレビによって洗脳できない一般市民が”反乱分子”として狙い撃ちにされることは想像に難くないであろう。
即ち、ブログやツイッターによる啓蒙行為が煽動や教唆として犯罪認定されるのである。
、、、
もはや国家は「秘密警察国家」たらんとしているのであり、ジョージ・オーウェルの小説「1984」で描かれている「社会的安定性を維持するための抑圧と国民意識の支配に基づく極めて不平等で歪な社会」が待ち受けていることを示唆するものである。
それは「思想警察」「テレスクリーン」による監視が一般市民を萎縮させ、思想犯罪を抑止するための「ダブルシンク」(二重思考)を強要される世界さながらと言ってよいであろう。
最後に、中南米・アジア・中東諸国の経済植民地化の過程で”反乱分子”百数十万人が抹消されたという歴史に学ぶとするならば、いよいよ本ブログも”潮時”ということなのであろう。
「特定秘密保護法は最後通牒」との言葉が意味するところを重く受け止めねばならないと強く感じる次第である。
そして国家権力にとって都合の悪いことを暴こうとする”反乱分子”を如何様にもあぶり出しにして捕捉可能とする「天下の悪法」である。
即ち、表向きの理由として謳われている「外交」「安全保障」に関する内容は無論のこと、「TPP」や「原発」など、国民に知られちゃマズイ話は”恣意的”に「特定秘密」として如何様にも”もみ消し”が可能だということである。
更に「日本版NSC」については、「首相+3閣僚(外相・防衛相・官房長官)」の4名だけで外交・安全保障政策上の司令を発令できるというのであるから、これは事実上の”独裁”と言っても過言ではないであろう。
、、、
「もはや”ネット言論”は危険」
戦時下さながらの言論統制・思想弾圧が現実のものとなれば、新聞・テレビによって洗脳できない一般市民が”反乱分子”として狙い撃ちにされることは想像に難くないであろう。
即ち、ブログやツイッターによる啓蒙行為が煽動や教唆として犯罪認定されるのである。
、、、
もはや国家は「秘密警察国家」たらんとしているのであり、ジョージ・オーウェルの小説「1984」で描かれている「社会的安定性を維持するための抑圧と国民意識の支配に基づく極めて不平等で歪な社会」が待ち受けていることを示唆するものである。
それは「思想警察」「テレスクリーン」による監視が一般市民を萎縮させ、思想犯罪を抑止するための「ダブルシンク」(二重思考)を強要される世界さながらと言ってよいであろう。
最後に、中南米・アジア・中東諸国の経済植民地化の過程で”反乱分子”百数十万人が抹消されたという歴史に学ぶとするならば、いよいよ本ブログも”潮時”ということなのであろう。
「特定秘密保護法は最後通牒」との言葉が意味するところを重く受け止めねばならないと強く感じる次第である。