新元号が発表されました。結局は中国の詩を元にした漢字をつかうことになり、慣例を半ば踏襲した形になりました。さすがに「安」とか「晋」とかいう漢字は避けられたようで、元号を見るたびに嫌な気持ちになることはなさそうで良かったです。ここまで特定の漢字にネガティブなコノテーションがついてしまったのはこの国の言葉をつかう人々にとって残念なことです。
ま、しかし、元号など役所の書類ぐらいにしか使われなくなり、みんなが西暦を使っているのだから、もうこれからは西暦でいいでしょう。「西暦」という元号にして、今年を西暦19年と呼べば良い、という植草さんの意見も一理あります。元号の代わりに時代の節目になるような呼び方をしたいのであれば、天皇の在位とリンクしているのだから天皇の名前を使えば良い。それでも、日本の歴史や伝統が「でんでん」という人はいるでしょう。しかし、日本の伝統がどうの、というのであれば、やっぱりチョンマゲ、着物に雪駄ばきに身なりを整えた上で言うのがスジではないかと思います。だいたい、明治維新で、ペリーに力の差を見せつけられ、薩長が旗を振って、これからは西洋人のモノマネをして西洋モドキになるのだ、と明治の初めに日本は決めたのです。今更、元号が日本の伝統とか言われても、説得力がないです。古いもので使われなくなったものは自然と淘汰され、変わらぬものは世の中にはないのですから、元号など私からみれば全く無用のもので、無くなっても何とも思いません。
最近の内田樹の研究室の記事の中で、休日に国旗称揚をしなくなったのが1958年ぐらいで、それは大日本帝国の十三回忌にあたるといういう話がありました。
ー親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。ー
元号に関しての私の感覚は、これですね。「もう、この辺でいいんじゃないか (元号を無くしても)」
私が生まれた昭和はひとくくりにするにはあまりに多くのことがありました。書類には、昭和何年、と書くのが普通であり、西暦は付随的でしたから、昭和と書くのは普通でしたから、なんの感情もなくそう書いていました。その後、世界は狭くなり電線やインターネットで繋がって、西暦を主に使うようになりました。昭和天皇の崩御ののち「平成」となったと聞いた時は、パッとしないなあ、とその響きのノッペリ感に違和感を覚えたのを覚えています。かつて、トルコ風呂の名称を変えるようにとのトルコからの圧力で名前が変わった時に、斎藤晴彦さんが歌った「トルコ行進曲」に、「はじめはどことなくぎごちない」という歌詞がありましたが、昭和が平成に変わった時に私は多少それを感じました。今回はなんとも思いません。令という言葉の響きが冷たいのがイマイチですけど、どうせ使わないので関係ないです。
さて、これに先立って、国会が閉幕し、国の経済が低迷し、借金が増え続け、日銀がバクチを打って負け続け、アベが金を浪費しまくっている中、過去最高額の国家予算が成立しました。キチガイ沙汰としか言いようがありません。
与党政府は、このまま国家破綻の行き着くところまで行って、最後は戦争で日本を更地にして、ゼロからやり直せばいい、どうせ、その頃にはワシらはみんなあの世の住人、あとは野となれ山桜、前代未聞の無責任男を担いだ国民の自業自得、とでも思っているのでしょうな。
アベとその一味は、まだまだこれからも、税金を仲間に横流しし、そのツケを日本のこれからの若者の両肩にズッシリと背負わせるつもりのようです。常識が通じない、良いことと悪いこの区別がつかない、ウソをつき人を欺き貶めることをなんとも思わない、常用漢字もまともに読めないクセに元号をダシにシャシャリ出てくる厚顔無知無恥、この邪悪な人間のクズのせいで、日本がこの数年に失ったものは測り知れず、将来の世代に長く残るであろうアベの負の遺産は永久に返済不能かもしれません。
国会が形骸化しているのは与党の数を頼んだ傍若無人なやり方でしょう。露骨に時間稼ぎをして、質問に答えずに時間切れを狙うアベの卑怯さには呆れてものが言えません。アベがマトモに日本語を使って議論しようとしないので、延々と国会での時間を無駄にし、何も先に進まないのだと、メディアもちゃんと批判しないといけません。
10代の過半数「国会は有意義な政策議論の場になってない」 理由1位は「議論が噛み合っていない」というニュース記事を見ました。議論が噛み合うという以前の問題であると、指摘するべきでしょう。
ウソをつき、騙し、隠蔽し、質問にまともに答えようとせず、意味不明のことをダラダラ言って時間を潰し、その上で質問者に逆ギレする、卑劣極まりないアベ相手に、どうやってもマトモな議論になるはずがない。でも議会で多数を占めているがために、この男を罷免することができずに、国会は空転し続けているのです。
このニュースに関しての適確なツイート。
ま、しかし、元号など役所の書類ぐらいにしか使われなくなり、みんなが西暦を使っているのだから、もうこれからは西暦でいいでしょう。「西暦」という元号にして、今年を西暦19年と呼べば良い、という植草さんの意見も一理あります。元号の代わりに時代の節目になるような呼び方をしたいのであれば、天皇の在位とリンクしているのだから天皇の名前を使えば良い。それでも、日本の歴史や伝統が「でんでん」という人はいるでしょう。しかし、日本の伝統がどうの、というのであれば、やっぱりチョンマゲ、着物に雪駄ばきに身なりを整えた上で言うのがスジではないかと思います。だいたい、明治維新で、ペリーに力の差を見せつけられ、薩長が旗を振って、これからは西洋人のモノマネをして西洋モドキになるのだ、と明治の初めに日本は決めたのです。今更、元号が日本の伝統とか言われても、説得力がないです。古いもので使われなくなったものは自然と淘汰され、変わらぬものは世の中にはないのですから、元号など私からみれば全く無用のもので、無くなっても何とも思いません。
最近の内田樹の研究室の記事の中で、休日に国旗称揚をしなくなったのが1958年ぐらいで、それは大日本帝国の十三回忌にあたるといういう話がありました。
ー親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。ー
元号に関しての私の感覚は、これですね。「もう、この辺でいいんじゃないか (元号を無くしても)」
私が生まれた昭和はひとくくりにするにはあまりに多くのことがありました。書類には、昭和何年、と書くのが普通であり、西暦は付随的でしたから、昭和と書くのは普通でしたから、なんの感情もなくそう書いていました。その後、世界は狭くなり電線やインターネットで繋がって、西暦を主に使うようになりました。昭和天皇の崩御ののち「平成」となったと聞いた時は、パッとしないなあ、とその響きのノッペリ感に違和感を覚えたのを覚えています。かつて、トルコ風呂の名称を変えるようにとのトルコからの圧力で名前が変わった時に、斎藤晴彦さんが歌った「トルコ行進曲」に、「はじめはどことなくぎごちない」という歌詞がありましたが、昭和が平成に変わった時に私は多少それを感じました。今回はなんとも思いません。令という言葉の響きが冷たいのがイマイチですけど、どうせ使わないので関係ないです。
さて、これに先立って、国会が閉幕し、国の経済が低迷し、借金が増え続け、日銀がバクチを打って負け続け、アベが金を浪費しまくっている中、過去最高額の国家予算が成立しました。キチガイ沙汰としか言いようがありません。
与党政府は、このまま国家破綻の行き着くところまで行って、最後は戦争で日本を更地にして、ゼロからやり直せばいい、どうせ、その頃にはワシらはみんなあの世の住人、あとは野となれ山桜、前代未聞の無責任男を担いだ国民の自業自得、とでも思っているのでしょうな。
アベとその一味は、まだまだこれからも、税金を仲間に横流しし、そのツケを日本のこれからの若者の両肩にズッシリと背負わせるつもりのようです。常識が通じない、良いことと悪いこの区別がつかない、ウソをつき人を欺き貶めることをなんとも思わない、常用漢字もまともに読めないクセに元号をダシにシャシャリ出てくる厚顔無知無恥、この邪悪な人間のクズのせいで、日本がこの数年に失ったものは測り知れず、将来の世代に長く残るであろうアベの負の遺産は永久に返済不能かもしれません。
国会が形骸化しているのは与党の数を頼んだ傍若無人なやり方でしょう。露骨に時間稼ぎをして、質問に答えずに時間切れを狙うアベの卑怯さには呆れてものが言えません。アベがマトモに日本語を使って議論しようとしないので、延々と国会での時間を無駄にし、何も先に進まないのだと、メディアもちゃんと批判しないといけません。
10代の過半数「国会は有意義な政策議論の場になってない」 理由1位は「議論が噛み合っていない」というニュース記事を見ました。議論が噛み合うという以前の問題であると、指摘するべきでしょう。
ウソをつき、騙し、隠蔽し、質問にまともに答えようとせず、意味不明のことをダラダラ言って時間を潰し、その上で質問者に逆ギレする、卑劣極まりないアベ相手に、どうやってもマトモな議論になるはずがない。でも議会で多数を占めているがために、この男を罷免することができずに、国会は空転し続けているのです。
このニュースに関しての適確なツイート。
話を噛み合わせないないのは安倍首相だ。どんな質問も素直に返答すれば我が身が危うくなるから話を右に左に外らせ、ちんぷんかんぷんな返答で制限時間切れを狙う。そんな卑劣さを他の与党議員も真似をする。だから国民は国家が空転しているように感じる。野党のせいではない。https://t.co/7yGO06wB89
— 渡部 深雪 (@mipom11) March 29, 2019