ゴーイング コンサーンの幻想というのは、随分前にある会計士の人が西武鉄道の経営を会計学の立場から解析しブログに公開したエントリーのタイトルなのですが、ここしばらく、何人かの研究者の人の苦労話を聞いて、ふと、このタイトルを思い出しました。ゴーイング コンサーンはそもそも会計学の言葉のようで、経営状況を評価する上において、企業は今後も活動を継続していくことを前提とするという概念です。もちろん、計画倒産し出資者や株主を裏切るような企業もあるわけですが、企業が継続を前提とするというのは当然であると言えます。
しかるに、今の日本政府をみると、長期的に日本という国をこれからも健全な形で継続していこうとする努力がとてもあるように思えません。政権浮揚のためだけに、外資のハゲタカファンドに喰いものにされるのがわかっていて、株式市場に日銀の金を打ち込み株価を支える、会社の金(税金)を私物化し盗む、雇用や国民の生活の指標はごまかす、文書は改ざんする、もうメチャクチャです。普通ならこの連中はまとめて牢屋にぶち込まれていないといけません。この連中は、使えるカネは使えるうちに自分たちで使ってしまって、あとのツケは株主(国民)に回して、自分たちはトンズラするという絵を描いているワケで、極めて悪質です。
国民も知っているのかいないのか、大阪衆院補選は残念な結果となりました。今年の国政選挙、多分ダブルになるとおもいますが、このままではまだアベ政権がつづきそうです。となると、もう一億総玉砕に向けてまっしぐらです。
話がズレました。研究の話をするつもりでした。
十年ばかり前に潰れた独立研究所で働いていた人と話をしたことがあります。この研究施設は非営利組織で運営は国や財団からの研究費や寄付などで主に賄われていたようですが、長年にわたる赤字の蓄積で閉鎖に向けて密かに準備をしていたそうです。内部の一部の人間はヤバいと知ってはいても、おおっぴらにすると大混乱に陥って、そっとフェードアウトすることができなくなるので、ギリギリまで黙っていたという話。枝野氏が福島原発事故の時に、爆発とか、メルトダウンという言葉を使わないようにして事の深刻さをごまかしていたのを思い出しました。
ま、そういう状況ですから、組織が潰れるギリギリまで、人を雇い続けていたということでした。組織がなくなり、裸で追い出され、グラントで買った機材は競売にかけられ、一から研究場所を見つけて再スタートを余儀なくされたようです。寝耳に水で、いきなり研究所が閉鎖になると聞かされたポスドクもいたそうです。ふつうは研究所がこれからも継続して存在するという前提を普通は疑わないわけですから驚いたでしょう。他にも、10年ほど前、とある病院附属の研究所が急に閉鎖になり、PhD研究者が突如、職を失って四散するということもありました。この閉鎖がきまる三ヶ月まえに新しい研究員を募集していて、その選考の最中に閉鎖したので驚きました。
これらは研究所自体が突如なくなったという極端な例ですけど、研究室というのはちょっとしたことで閉鎖になります。これも十年ほどまえ、とあるハーバードの有名教授が学会先で変死したために、研究室が閉鎖となり、ポスドクが路頭に迷い、学生が研究室を変わってゼロからやり直しになったということがありました。研究費はその教授に出ていますから、その人が死亡した時点で召し上げになり、そこから給料や研究費がでていた人々は、突然、全てを失うことになりました。(実際は半年の猶予期間がありましたが)こんな極端な話でなくても、研究費が尽きれば研究はできませんから、ポスドクや研究員をやむなく解雇するというケースは多くあります。
研究員にも生活というものがあり、キャリアというものもります。プロジェクトが資金切れで完成しなければ、彼らにとっては、給料と地位を失うばかりか、苦労も形にならず、将来のキャリアに大きく影響するわけです。研究費のサポートは最長でも数年しかありませんから、普通はその間に別の研究費をとってきて継続していくとの前提で、多くの研究室は運営されてきました。つまり数年先の研究費はわからないけけれども、なんとかなるだろうという楽観的観測によって、研究室が今後も継続するという前提でポスドクもポスドクを雇う方も話を進めるわけですが、近年の研究費獲得の困難さを鑑みると、いまやそれは幻想とはいわぬまでも、その前提は少し厳しく見直す必要があると思います。身近にも、大御所といわれて長年、複数のグラントを維持してきたような人々がグラントを失い、研究室閉鎖の危機に瀕しているという例が複数あります。彼らはいざとなれば引退を覚悟しているでしょうが、結局、もっとも大きなストレスはそこで働いているポスドクの人々の将来のことのようです。
わたしも、秋からの2年の小さなプロジェクトに人が必要なのですが、それで悩んでいます。2年から先、そのプロジェクトが継続している可能性はむしろ低いと思っています。継続の努力はするつもりですけど、努力が報われない方が多い世界ですし。そんな状態で、2年限定のポジションにそれなりの人を見つけるのは大変です。昨年、期間限定で多少のの資金に余裕ができたので、雇うことにした人も、もともとMDで、研究のあともう一度臨床に戻るという計画があるので、最悪2年でも構わないとのことで合意になりました。こちらも本音はPhDで基礎研究を数年みっちりやった人が欲しいのですが、PhDとなるとキャリアもかかっているわけで、それなりの論文を書くのに二年は短すぎます。
ゴーイング コンサーンの前提などないに等しい零細研究室ではお互いに難しいものがあります。先日も同様の状態にある人と愚痴になりました。その人も二年分の資金はあるが、多分、それで打ち止めになるので、ポスドクは欲しいが人が見つからないとのこと。
とくに、何の解決策があるわけではありませんけど、やはりdisparityが大きくなっている今だからこそ、富の再配分によって社会主義なシステムで人々の最低限の生活を確保できるようにしていくことが望まれます。あいにく金持ちほどカネを失うことを恐れるといいますから難しいでしょうが、アメリカでは若者が時期大統領選の民主党候補としてバーニー サンダースを支持しているという話を聞くと、若い世代も、現在の弱肉強食の行き過ぎた資本主義社会に大きな問題意識を持っているのだと思います。
しかるに、今の日本政府をみると、長期的に日本という国をこれからも健全な形で継続していこうとする努力がとてもあるように思えません。政権浮揚のためだけに、外資のハゲタカファンドに喰いものにされるのがわかっていて、株式市場に日銀の金を打ち込み株価を支える、会社の金(税金)を私物化し盗む、雇用や国民の生活の指標はごまかす、文書は改ざんする、もうメチャクチャです。普通ならこの連中はまとめて牢屋にぶち込まれていないといけません。この連中は、使えるカネは使えるうちに自分たちで使ってしまって、あとのツケは株主(国民)に回して、自分たちはトンズラするという絵を描いているワケで、極めて悪質です。
国民も知っているのかいないのか、大阪衆院補選は残念な結果となりました。今年の国政選挙、多分ダブルになるとおもいますが、このままではまだアベ政権がつづきそうです。となると、もう一億総玉砕に向けてまっしぐらです。
話がズレました。研究の話をするつもりでした。
十年ばかり前に潰れた独立研究所で働いていた人と話をしたことがあります。この研究施設は非営利組織で運営は国や財団からの研究費や寄付などで主に賄われていたようですが、長年にわたる赤字の蓄積で閉鎖に向けて密かに準備をしていたそうです。内部の一部の人間はヤバいと知ってはいても、おおっぴらにすると大混乱に陥って、そっとフェードアウトすることができなくなるので、ギリギリまで黙っていたという話。枝野氏が福島原発事故の時に、爆発とか、メルトダウンという言葉を使わないようにして事の深刻さをごまかしていたのを思い出しました。
ま、そういう状況ですから、組織が潰れるギリギリまで、人を雇い続けていたということでした。組織がなくなり、裸で追い出され、グラントで買った機材は競売にかけられ、一から研究場所を見つけて再スタートを余儀なくされたようです。寝耳に水で、いきなり研究所が閉鎖になると聞かされたポスドクもいたそうです。ふつうは研究所がこれからも継続して存在するという前提を普通は疑わないわけですから驚いたでしょう。他にも、10年ほど前、とある病院附属の研究所が急に閉鎖になり、PhD研究者が突如、職を失って四散するということもありました。この閉鎖がきまる三ヶ月まえに新しい研究員を募集していて、その選考の最中に閉鎖したので驚きました。
これらは研究所自体が突如なくなったという極端な例ですけど、研究室というのはちょっとしたことで閉鎖になります。これも十年ほどまえ、とあるハーバードの有名教授が学会先で変死したために、研究室が閉鎖となり、ポスドクが路頭に迷い、学生が研究室を変わってゼロからやり直しになったということがありました。研究費はその教授に出ていますから、その人が死亡した時点で召し上げになり、そこから給料や研究費がでていた人々は、突然、全てを失うことになりました。(実際は半年の猶予期間がありましたが)こんな極端な話でなくても、研究費が尽きれば研究はできませんから、ポスドクや研究員をやむなく解雇するというケースは多くあります。
研究員にも生活というものがあり、キャリアというものもります。プロジェクトが資金切れで完成しなければ、彼らにとっては、給料と地位を失うばかりか、苦労も形にならず、将来のキャリアに大きく影響するわけです。研究費のサポートは最長でも数年しかありませんから、普通はその間に別の研究費をとってきて継続していくとの前提で、多くの研究室は運営されてきました。つまり数年先の研究費はわからないけけれども、なんとかなるだろうという楽観的観測によって、研究室が今後も継続するという前提でポスドクもポスドクを雇う方も話を進めるわけですが、近年の研究費獲得の困難さを鑑みると、いまやそれは幻想とはいわぬまでも、その前提は少し厳しく見直す必要があると思います。身近にも、大御所といわれて長年、複数のグラントを維持してきたような人々がグラントを失い、研究室閉鎖の危機に瀕しているという例が複数あります。彼らはいざとなれば引退を覚悟しているでしょうが、結局、もっとも大きなストレスはそこで働いているポスドクの人々の将来のことのようです。
わたしも、秋からの2年の小さなプロジェクトに人が必要なのですが、それで悩んでいます。2年から先、そのプロジェクトが継続している可能性はむしろ低いと思っています。継続の努力はするつもりですけど、努力が報われない方が多い世界ですし。そんな状態で、2年限定のポジションにそれなりの人を見つけるのは大変です。昨年、期間限定で多少のの資金に余裕ができたので、雇うことにした人も、もともとMDで、研究のあともう一度臨床に戻るという計画があるので、最悪2年でも構わないとのことで合意になりました。こちらも本音はPhDで基礎研究を数年みっちりやった人が欲しいのですが、PhDとなるとキャリアもかかっているわけで、それなりの論文を書くのに二年は短すぎます。
ゴーイング コンサーンの前提などないに等しい零細研究室ではお互いに難しいものがあります。先日も同様の状態にある人と愚痴になりました。その人も二年分の資金はあるが、多分、それで打ち止めになるので、ポスドクは欲しいが人が見つからないとのこと。
とくに、何の解決策があるわけではありませんけど、やはりdisparityが大きくなっている今だからこそ、富の再配分によって社会主義なシステムで人々の最低限の生活を確保できるようにしていくことが望まれます。あいにく金持ちほどカネを失うことを恐れるといいますから難しいでしょうが、アメリカでは若者が時期大統領選の民主党候補としてバーニー サンダースを支持しているという話を聞くと、若い世代も、現在の弱肉強食の行き過ぎた資本主義社会に大きな問題意識を持っているのだと思います。