前回、キャンセルカルチャーを煽る科学雑誌の話をしましたけど、そもそも、これは、#Me too ムーブメントなどで、本来弱い立場にある人々が声を上げる集団的なプロテスト行動から発したものです。物事は何でも二面あり、集団であることはプラスの部分もあれば、マイナスの部分もあります。集団が同方向に動けば、良くも悪くも、しばしばその個の単純な加算以上の効果を生み出します。そして個よりも集団の和を重んじる農耕民族の日本人は、付和雷同することに抵抗が少ないが故に特に危険だと思います。
今回のロシアのウクライナ侵攻に対する西側諸国と日本の態度もそれに近いものがあると私は思います。
ロシアは国際法に違反したという事実があります。それに関して、バイデン政権と多くの西側諸国は強く非難し、経済制裁を開始し、ウクライナにさらに武器を供与するという行動に出ました。日本も与野党そろって同調しました。これはまさにキャンセル カルチャーの国家版です。
大きく違うのは、ロシアはD.S.氏にように、叩きまくって抹殺できるような相手ではないということです。
そのことを深く考えてたのは、日本の政党では山本太郎の「れいわ」だけではなかったでしょうか。ゼレンスキーの国会演説に際し、全面的支持を表明しなかったのは「れいわ」だけでした。それ以外の日本の政党は、ロシアを非難し、自動的かつ短絡的にウクライナ政府支持を表明しました。「れいわ」が、無批判にゼレンスキー、つまりウクライナ政府、支援を表明しなかったのは、そうすることによってロシアを刺激し、状況を一層悪く可能性があると考えたからでしょうし(事実そうなりました)、またウクライナ政府はむしろこの戦争の原因となった当事者であって、本来、真に支援すべきは、その巻き添えとなって苦しむウクライナ国民であってウクライナ政府に支援を表明することはウクライナ国民の救済にプラスになるとは限らないと考えたからでしょう。
そして、武力で参戦しない場合に他国ができる介入は経済制裁ですが、ロシアに対する経済制裁に「れいわ」は反対。その際の説明には関心しました。経済制裁に反対する理由として、山本太郎は、過去の国際紛争における経済制裁の例を解析し、経済制裁はその国民に苦難を与える一方で、それが戦争終結に有効であった例は三割に過ぎず、しかも、その実現にも平均10年かかっているという事実をもとに説明しています。つまり、経済制裁は副作用は強いが効果の薄い手段であるということをデータに基づいて考慮した上の意見表明でした。
一体、どれだけの日本の政治家が、目的を定義し、データに基づいた仮説を立てて、最適のアプローチを選び、結果を想定し、プランBを考えつつ行動する、という科学的手法を使いこなせているでしょうか。こうしたやり方は科学者にとっては、当たり前に聞こえるかも知れませんが、実践するのはプロの科学者であってもしばしば易しいことではないです。
また、この戦争において、目指すべきところが何かを、最もよく考えていたのも山本太郎でしょう。特に自民党の発言を聞いていると、戦争の勝ち負けが何を意味するかさえ、理解している人は多いように思えません。
この戦争においてウクライナがロシアに勝利し、ロシアを降伏させることはあり得ません。ウクライナにとってのゴールは停戦に持ち込んで、紛争の原因になっている問題を先送りにすることでしょう。それがほぼ唯一、国土を救い、国民の生活と生命を守る方法だとゼレンスキーも考えているはずです。つまり、戦争が継続することそのこと自体がすでに敗北です。マトモに戦って勝てる戦力がないのに、戦争を仕掛けられるような状況を招いてしまった時点で負けです。しかし、現在のように一方的に暴力が振われる状況になってしまえば、最終的に勝てないわかっていても国を捨てるという選択をしないのであれば、とりあえず戦う以外にありません。ウクライナはそういう状況にあります。
一方、バイデン政権はロシアが戦争によって弱体化することは目的にかないますから、戦争が継続してくれる方を望んでさえいるかも知れません。ウクライナが荒土となり、大勢のウクライナ人やロシア兵士が死んでも、アメリカに対するダメージは少ないですから、ロシアとウクライナ双方が望んでいる「停戦合意」のための仲裁などやる気もないようです。
日本を振り返りますと、日本の政治家は中国を仮想敵国と考えているようですが、ウクライナがマトモに戦ってロシアに勝てないように、日本がマトモに戦って中国軍に勝てるわけがないです。だだでさえ、こちらは没落国、あちらは急激に発展中、こちらは少子化、中国は日本の十倍以上の人口、軍事予算も中国は世界第三位で日本の五倍、軍人の数も十倍以上、その他あらゆる戦闘能力の指標で、日本とは圧倒的な差があります。日米安保の在日米軍が仮に加勢に入っても焼け石に水でしょう。
政治家がすべきことは、戦争になったときに戦えるように備えることではなく、戦争を起こさないためにどうするか、それでも万が一、戦争になったときに、いかに国民の生活と生命と自由を守るかを考え準備することでしょう。軍拡して先制攻撃も可能になるように改憲をし、戦争になったら最後の一人になるまで戦い抜く、というのは、もっとも短絡的、短慮で最悪の手だと思います。
もっとも、日本で参院選後に自民党が画策している改憲の真の目的は、長期独裁政権を可能にするための緊急事態条項の導入でしょうから、戦争はおそらく単なる口実なのでしょうが。