百醜千拙草

何とかやっています

レベルが低すぎる

2018-05-22 | Weblog
「人はいかに生きるべきか」という問いは繰り返し問い続けられなければならないと思います。先人も太古から哲人や市井の人々に至るまで、この問いへの答えを個人と社会が求め続ける行いを通じて、人は人間として進化してきたのだと思います。社会の構成員が「人はどう生きるべきか」のある一定のコンセンサスを共有し内在化することは、社会で共同生活を営むために必須です。そのために国は税金を使って長年の義務教育を行い、社会の構成員を一定のレベルに保つ努力をしているのだと思います。

しかし、倫理教育や文学を通じて人間としての生き方を外から強制することはできません。それは本来、社会生活を通じて個人が自発的に発達させるべきものであろうと思います。また、個人差というものもあり、また集団で共有される価値観というものを理解できない、あるいはそれを尊重できない人は、必ずおります。

そういう事情で、社会科の教育によって、社会の成り立ちと仕組みを教え、人間として社会で生きる上でのルールを教え、ルールに違反すれば罪になり罰せられることになることを教えます。罪を犯せば罰せられる、これは犬をしつけるレベルの話です。よって、法律で決められているルールというのは社会の最低レベルの基準です。大多数の人は普通はその最低レベルには抵触せずに生活しているはずで、さらに加えて、人間としての高潔さ、思いやり、などのより高位のレベルの「どう生きるべきか」という基準を各々にに課して生きていると私は思います。そして、あるレベル以上の人であれば、「罰せられるから罪を犯さない」という次元ではなく、常に「より良い人間」になろうと努力しているでしょう。とりわけ、国や社会のリーダー的立場にある人間は、構成員から注目されるがゆえに、法律という最低レベルの基準を満たすのは当然のこと、一段と高いスタンダードを要求されるべきであろうと私は思います。

しかるに、この国の腐った魚の頭は、ルール違反、法律違反、憲法違反と、社会の最低レベルの基準でさえ満足に満たすことができません。あげくに、先週、政府は「『セクハラ罪』存在せず 答弁書を閣議決定」したらしいです。もちろん、これはアソーのバカ発言の弁護のためでしょうが、「情けない」という言葉しかありません。この連中は小学校で何を学んできたのでしょう。漢字も満足に読めない、書けない、読書は漫画、推して知るべし、ですか。

ここでは「罪になる、ならない」という話をするということ自体のレベルの低さが問われているのです。つまり、アソーが大臣として、人間としてレベルが低すぎることを問題としているのであって、その発言の真偽を問うているのではないのです。にもかかわらず、それを閣議決定するというのは、内閣全体がXXの集まりだと言っているようなもので、しかも、その内容ときたら、小学生でもバカにするなと怒り出すようなレベル。

答弁書は、セクハラの定義について、職場や職場外での「他の者を不快にさせる性的な言動」と人事院規則が定めているとし、「これらの行為をセクハラとして処罰する旨を規定した刑罰法令は存在しない」とした。
 一方、逢坂氏が「セクハラが強制わいせつなどの犯罪行為に該当することがあるのでは」と問うたことに対し、答弁書は「その場合に成立するのは強制わいせつなどの罪であり、『セクハラ罪』ではない」とした。【毎日新聞 野口武則】


これに対しての「稗史倭人伝」の反例が的確。


「万引き」を処罰するための「万引き罪」という刑罰法令は存在しない。 刑法に“万引き“という表現はなく、罪名で言えば窃盗罪、、、
確かに 「セクハラ罪」はないかもしれないが、だからといってどうだというのか? やっても構わないというのか?


一方、セクハラは、世界では、単に罪になるならないというレベルの問題では議論されていません。研究の世界に限っても、5/10のNatureでは、セクハラの話題が二題取り上げられています。
World view: Harassment should count as scientific misconduct セクハラは研究不正だという主張。
それから、ちょっと前にスキャンダルになったソーク研究所のInder Vermaのセクハラの告発で、結局、VermaはPNASのEditor in Chiefを辞任することになったとニュース(リンクはサイエンスの記事)。 研究能力、業務遂行能力がいくらあっても、セクハラはそれらのポジションを辞任しないといけなくなるほどの問題であると認識されているということでしょう。

知る限り、世界で「セクハラ罪などという罪はない」と責任大臣が発言したり、それを閣議決定するようなXXが政府中枢にいる国は日本以外に見当たりません。(トランプでさえ、セクハラはやったでしょうが、こんなバカな開き直りはしないでしょう)

この連中は、真性のXXなのか(少なくともアベとアソーはそうでしょう)あるいは、国民全体に自分たちのバカさ加減をわざと晒して、「何を言っても道理が理解できないXXは、もう死ななきゃ治らないから、ほっておくしかない」という無力感を国民に与えるために、わざとやっているかのどちらかでしょう。

何れにしても、一段と高いスタンダードどころか、普通の人のはるかに下の基準でさえ満たせないわけで、こういうマイナス2 SD 未満の連中が権力中枢にいるという事実だけでも、どれだけ社会に悪影響を与えることか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 共感性の欠如と幼児性 | トップ | 厚顔無恥の犯罪内閣 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事