随分前に引き受けた学外学位審査員、学位研究の公開発表と試問会をするというお知らせが来ました。学外委員は学生の教育にも将来にも何の責任もないのに、学位授与の関係者というだけで、学生からは一方的に感謝され、遠方の大学ならそれを口実にタダで観光旅行もできるという役目です。(あいにく今はZoomで役得なし)というわけで、学位のための公開発表と試問の開催にあたって、先日、二度目の会合がありました。それに先立ち、学位論文の原稿が送られてきました。
ちなみに下はフランスで女性で初めて博士号をとったキューリー夫人の学位論文の表紙で、最近偶然ネットで目にしたものです。1903年6月、パリ大学理学部(現ソルボンヌ大)で発行されており、表紙には三人の学位委員、学長と二人の審査官の名前が書いてあります。学位論文は二部に分かれており、一部のタイトルは「放射性物質の研究」それから二部は「教授からの提言」となっています。どうも、学位研究の内容とそれに関する指導教官の意見書がセットになっているのが、当時のこの大学の学位論文のフォーマットのようです。
発行が1903年ですから、このキューリー夫人の学位審査に関わった関係者はおそらく全員もうこの世にはいないでしょうが、この黄ばんだ印刷物は、かつて若きキュリー夫人が、さわやかな初夏のパリで、三人の審査員を前に学位を防御した、というできごとの直接の証拠であります。
さて、送られてきたこの学生の学位論文は200ページ以上ある大作ですが、肝心のデータを見ると、これではちょっとマズいだろうという内容でした。私の専門分野というわけではないので、ひょっとすると分野が違えば基準も違うのかなあ、などと思っていると、その学生の指導教官の人から電話がかかってきて、この学生の研究態度とデータの問題について聞かされ、そして、そのことを学位審査会の講座長に訴えても、多少の問題はあっても学生は卒業させねばならないと言われるのだ、と愚痴られました。
そうこうしていると、また別の大学の共同研究者の人からも連絡があって、共同研究で論文にしようとしているプロジェクトを二年先の学生の学位論文の一部に加えたいので、こちらの倫理委員会の承認書を送ってほしいというメール。ついでにその学生が、なかなか思うように働いてくれないのだという愚痴が付け足してありました。シンクロニシティーですかね。この学生の人とはプロジェクトに関して、二、三メールをやりとりしたことがあり、大変優秀そうだったので意外に思いました。指導者と学生の関係というのは、嫁と姑のように色々あるのが普通と思いますが、例えてみれば、私は隣家のおじさんの立場、嫁姑問題に口を出すのは僭越というもので、私に愚痴られても、知らんがな、としか言いようがありません。
今では、学位の審査会は、その後のパーティーの前にやる儀式的なもので、予定調和の大団円に向けての最後はみんな笑顔でシャンシャンと終わるのが普通と思います。このようなケースは初めてで、指導教官の彼も多少、感情的にもなっているしで、結局、「学位授与や研究遂行上における定められた規則にしたがって対処すべし」と当たり障りのないアドバイスをしました。現実的な案として、学生とよく話して、学位試問を辞退または延期させればどうか、と言ったのですが、結局は、大人の事情(つまりカネがらみ)で学生を何としても卒業させねばならないと主張する講座長に押し切られたようです。
そして、本人を交えた試問前の委員会が開かれ、グダグダの会合は三時間におよび、いい加減うんざりしたころに、講座長が、学位審査は行われるべきだ、との鶴の一声で終了。それから数週間、先日、本番が行われました。確かに発表前の会合の時よりも見かけは改善していましたが、短期間で本質な問題が解決できるはずもなく。その後、一般聴衆に退出してもらって、発表者に委員がかわるがわる試問。私もちょっと二、三、意地悪な質問をしてみましたが、予想通りの反応。それから審査。審査と言っても、講座長が学位は与えると決めているので、私は黙って、その晩のご飯とビールのことを考えていました。
そして、この学生は、手続きがおわれば学位を与えられ、その問題のある学位論文は、指導者のサイン入りでその大学の図書館とウェッブサイトに残ることになります。将来、彼女がキューリー夫人のような有名人にでもならないかぎり、この論文は誰の手にとられることもなく、ひっそりと図書館の隅で埃を被ることになるのでしょう。しかし、これも小さな歴史の断片であるには違いありません。
学位は足の裏についた米粒で、放っておくと気になるが取ったところでどうということはない、といわれます。人間、死ぬまでの長い時間をつぶす気晴らしが必要なので、勉強したり、研究したり、働いたり、何かに挑戦したり、遊んでみたり、ブログを書いてみたりするわけでしょう。だからこそ一生懸命やらないと面白くないのでしょうけど、いずれにせよ気晴らしであることに違いはありません。
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