先日、仏像を焼いて暖をとったお坊さんの話を書いた時、出典が思い出せず、そのお坊さんのことをどういうわけか古霊だと思って、そう書いたのですが、その後、偶然、本を読んでいて、誤りに気がつきました。仏像を焼いたのは古霊ではなく、丹霞天然で、羅漢に供養をしていたのは、その弟子の翠微無学でした。その丹霞が仏像を焼いた時の話が、「丹霞焼仏」という公案になっていることもそれで知りました。
この話は理解しやすいです。一休さんのとんち問答みたいですね。偶像崇拝に対する批判でしょう。 丹霞の弟子、翠微無学の羅漢供養の問答を再録。
偶像崇拝やその批判というレベルを越えた境地を見よ、ということでしょうか。
供養は羅漢の問題ではなく、供養者その人の問題であるとの謂いでしょうか。
「丹霞焼仏」と漢字四文字にすると、何となく詩的ですけど、言っていることは、「丹霞が仏像を焼いた」という極めて散文的な叙述です。この「丹霞焼仏」という言葉の響きで思い出したのが、「南泉斬猫」です。南泉が猫を斬るということですけど、これはかなり有名な公案で、画のモチーフ(例えばコレ )としてもよく使われています。 この話は次のようなものです。
公案ですから、決まった答えがあるわけではなく、自分なりの答えを考え抜いて見つけるしかないのですけど、私は、未だに、なぜ南泉が猫を斬らねばならなかったのか、よくわかりません。僧たちに落ち度があったのはわかります。猫の生死がかかった瞬間にあって、何一つ言えなかった僧たちは仏徒としてふがいないと思います。猫ではなく、苦しんでいる人だったらどうでしょう。その苦しむ人を救うことが僧の役割です。死んでからお経を上げるだけの葬式仏教では意味がありません。生死の刹那に、理性の判断を排した所から出てくる(生死を超えた )ものを引き出して見せよ、そういう問いだったのでしょう。思うに、その言葉の中身よりも、まず、何かを言い、行動することができなければダメだということなのではないかと思います。そうしていれば、少なくともおそらく南泉は猫を殺さない口実ができたはずだと想像するのです。仏徒たるものは危機に際してまずは体で正しく反応できるようでなければならない、だからこそ南泉は趙州の奇怪な行動を認めたのではないでしょうか。
この公案には、もっと哲学的な解釈も多々あります。例えば、趙州が普段左右に分けて履く靴を揃えて頭の上に載せたという行為を、「生死というような二元的立場を超越する」と意味にとらえる説もあります。しかし、そもそも禅仏教はそんな哲学臭いことを嫌いますし、公案を何かの比喩として読むことは誤りを生む思いますから、私は泥臭い常識的な解釈が好きです。(もちろん正解はありません)
でも、いくら弟子を指導するためとは言え、本当に猫を殺すことが必要だったのか、私はわかりません。とくに、南泉は、死んだら牛に生まれ変わるといい、畜生道こそが道だ、と言っていた人ですから。
丹霞は寒い日に木仏を焼いて暖を取ったが、それを他人から譏られたため、その人に「焼いて、木仏から舎利を取る」といった。
しかし、その相手は、「木仏から舎利が取れるはずもない」というので、丹霞は、「それならば私を責める理由は無かろう」と答えた。
しかし、その相手は、「木仏から舎利が取れるはずもない」というので、丹霞は、「それならば私を責める理由は無かろう」と答えた。
この話は理解しやすいです。一休さんのとんち問答みたいですね。偶像崇拝に対する批判でしょう。 丹霞の弟子、翠微無学の羅漢供養の問答を再録。
「あなたの師匠は仏像を焼いたというのに、あなたはなぜ供養をするのか」
「焼いても焼き尽くされるものではない、供養したければいくらでも供養すればよい」(焼くも良し、拝むも良し)
「焼いても焼き尽くされるものではない、供養したければいくらでも供養すればよい」(焼くも良し、拝むも良し)
偶像崇拝やその批判というレベルを越えた境地を見よ、ということでしょうか。
翠微が羅漢を供養しているのを見て、僧が問う、
「羅漢を供養すれば、羅漢は供養を受けに戻って来られますか」
翠微の答え、 「お前は毎日、何を喰っているのか」
翠微の答え、 「お前は毎日、何を喰っているのか」
供養は羅漢の問題ではなく、供養者その人の問題であるとの謂いでしょうか。
「丹霞焼仏」と漢字四文字にすると、何となく詩的ですけど、言っていることは、「丹霞が仏像を焼いた」という極めて散文的な叙述です。この「丹霞焼仏」という言葉の響きで思い出したのが、「南泉斬猫」です。南泉が猫を斬るということですけど、これはかなり有名な公案で、画のモチーフ(例えばコレ )としてもよく使われています。 この話は次のようなものです。
ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の猫について言い争っていた。
南泉は猫を提示して言った。
「僧たちよ、一語を言い得るならば、この猫を助けよう。言い得ぬならば、斬り捨てよう」
誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。
夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙州 は履(くつ)を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。
南泉は言った。 「もしお前があの時おったならば、猫は死なずにすんだのに」
誰一人答える者はなかった。南泉はついに猫を斬った。
夕方、趙州が外出先から帰ってきた。南泉は彼に猫を斬った一件を話した。趙州 は履(くつ)を脱いで、それを自分の頭の上に載せて出て行った。
南泉は言った。 「もしお前があの時おったならば、猫は死なずにすんだのに」
公案ですから、決まった答えがあるわけではなく、自分なりの答えを考え抜いて見つけるしかないのですけど、私は、未だに、なぜ南泉が猫を斬らねばならなかったのか、よくわかりません。僧たちに落ち度があったのはわかります。猫の生死がかかった瞬間にあって、何一つ言えなかった僧たちは仏徒としてふがいないと思います。猫ではなく、苦しんでいる人だったらどうでしょう。その苦しむ人を救うことが僧の役割です。死んでからお経を上げるだけの葬式仏教では意味がありません。生死の刹那に、理性の判断を排した所から出てくる(生死を超えた )ものを引き出して見せよ、そういう問いだったのでしょう。思うに、その言葉の中身よりも、まず、何かを言い、行動することができなければダメだということなのではないかと思います。そうしていれば、少なくともおそらく南泉は猫を殺さない口実ができたはずだと想像するのです。仏徒たるものは危機に際してまずは体で正しく反応できるようでなければならない、だからこそ南泉は趙州の奇怪な行動を認めたのではないでしょうか。
この公案には、もっと哲学的な解釈も多々あります。例えば、趙州が普段左右に分けて履く靴を揃えて頭の上に載せたという行為を、「生死というような二元的立場を超越する」と意味にとらえる説もあります。しかし、そもそも禅仏教はそんな哲学臭いことを嫌いますし、公案を何かの比喩として読むことは誤りを生む思いますから、私は泥臭い常識的な解釈が好きです。(もちろん正解はありません)
でも、いくら弟子を指導するためとは言え、本当に猫を殺すことが必要だったのか、私はわかりません。とくに、南泉は、死んだら牛に生まれ変わるといい、畜生道こそが道だ、と言っていた人ですから。
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