百醜千拙草

何とかやっています

ダイセツ スズキのゼン

2007-04-25 | 文学
数日前の「剣を長空に揮う」の出典をインターネットで調べていた時、 有名な「 三界無法何處求心 」と言う言葉もこの盤山という人の言葉で 碧巌録 の中におさめられていることを知りました。 この言葉も鈴木大拙の著書の中でとりあげられていたので覚えていたのだと思います。その部分で大拙は、漢字、漢文が中国で発展してきた禅仏教に如何に重要かを説いています。「サンガイムホウと声にして読むだけで、仏法のすべてがつくされる」と書いてあります。確かにこれらの字を見ながら読み下すだけで、何かしら訴えかえる力があるように思います。
鈴木大拙の著書に親しむようになったのは、高校生時代に好きだったSalingerの小説を読んだからでした。私の若いころはSalingerと言えばちょっと生意気な文学少女の愛読書という感じでしたし、男が余り堂々とSalingerが好きとか言えない雰囲気がありましたからこっそり読んでいました。ナインストーリーズを最初に読んで気に入ったのですが、Salingerの小説は基本的にすべての作品が繋がっているので、自動的に他のも読むようになったのだと思います。不思議なことに「ライ麦畑」は、好きだったころに読んだことがなく、随分たってから原書を読んでつまらないと思いました。おそらく今読みかえしたら他の本も随分違ったように感じることでしょう。若者にしか分からない感性というものがあって、だからこそSalingerは若者に強く支持されるのでしょう。Salingerの作品の「フラニーとゾーイ」だったかあるいは、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」だったかで、登場人物の誰かの長いモノローグの中で「ダイセツ スズキ」の名を知ったのです。私のように仏教関係者ではない普通の人が仏教にしかも禅仏教に関心を持つようになる場合の多くが、ダイセツ スズキの影響ではないかと思います。ダイセツ スズキは、アメリカのみならず世界の若者にゼンを広めた思想的リーダーでした。ゼンや少なからぬ部分の日本の一般人の禅仏教は、ダイセツ スズキによって現代に蘇った新しい仏教の形であったと思います。勿論功罪あるわけですが、若かった私が大拙の著書に容易に扇動されてしまったのは無理ありません。罪の部分については、大拙のゼンの解説は仏教を哲学的な思索の方法と誤解させてしまうことではないかと思います。実践を知らずに頭の中だけの概念として仏教を理解しようとすると誤解につながるでしょう。「説似一物即不中」は中国禅仏教の祖、六祖慧能の弟子であった七祖懐譲の言葉ですが、「口に出したとたんにはずれる」という意味です。禅を文字から理解しようとするとまさにそうなってしまうでしょう。本来仏教は空海が持ち帰った密教の様に多分に功利的な側面がありました。具体的に何かに役に立つものであったわけで、禅にしても表面上は、後生を頼むとか救済とかいうことを一切消し去っていますが、当然それを実践する事で得られる何かがあるわけです。それは頭の中の理解だけでは得られないものでしょう。高校の時、大嫌いだった倫理の先生がいました。生徒の親からの評判も悪く、倫理を教えるのにこれほど不適格な人もいないと思ったものでしたが、その先生が哲学についての最初の授業で言ったことは未だによく覚えています。言ったことはもっともなのですが、だからといって発言者に好意を持てるかというと別問題です。ともあれ、その先生は、「哲学を学ぶということは哲学することを学ぶことである」と言ったのでした。高校生の私は「哲学」の定義をまず教えて欲しかったので煙にまかれたような気がしました。今になって思えば当たり前ではありますが大変重要なことであったことが分かります。仏教や禅についても同じことが言えます。仏教をすること、禅に生きることが何より大事なのです。そう気づいたら「禅問答」の意味がわかってきます。そこに書いてある文字にとらわれてはいけないのですね。それを気づくには多少の経験と試行錯誤が必要だと思います。そういうことをわかっていなかった高校生の私がききなり禅語録などを読んでもおそらく全く理解できずに放り投げていたでしょう。そのいわば解説書として鈴木大拙の本は高校生レベルの頭でも理解するきっかけをつかめるように書いてあったわけです。以来、折りに触れては鈴木大拙の本を開くようになりました。仏教を実践している人にとっては大拙の本は両論あると思います。いってみれば素人のために多少誇張も含めて書かれた本なのです。しかし私のような一般人は十分楽しめます。今、世間で鈴木大拙がどのように受け取られているのか知りません。私が高校の倫理社会の教科書で再会した時、大拙はすでに二十年近くも前にこの世を去った後でした。大拙は著書の中で、禅は若者のものであると断言しています。もう若者でなくなった私はこうして若かった頃を懐かしんでいる部分もありますが、心の中では高校生時代と余り変わっていないと思っていますからまだまだ大拙の本は面白いです。
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