オバマ大統領のノーベル平和賞、賛否両論のようです。私があらためて議論するようなことでもないのですけど、一言。
前回、アメリカの大統領がノーベル平和賞になったのはジミーカーターですが、大統領をやめて20年も経ってからでした。クリントン政権の副大統領のアルゴアがノーベル平和賞を貰ったのは、政治家としてよりは環境問題活動家としての評価によるものでした。ルーズベルト(テディ)とウィルソンは随分前に大統領現役中に貰っていますが、各々、日露戦争終結、国際連盟設立という業績がありました。オバマにはまだ業績らしい業績はありません。全くの無名であったオバマが大統領になって一年も経っておらず、アフガニスタンの戦闘も継続中のアメリカ大統領が、なぜ平和賞を貰うのか、おかしい、早過ぎる、という意見は尤もです。
他の賞ではその業績が評価されて初めて賞になるわけで、業績の評価にはしばしば何十年もかかりますから、なおさら、この平和賞が大統領一年生のオバマに与えられるということに疑問を感じる人が多いのはやむを得ないでしょう。
しかし、私はこのノーベル賞財団の英断を讃えたいと思います。確かにオバマはまだ何の業績らしい業績もありません。アメリカを建て直せるか、ブッシュが始めて泥沼となったイラク戦争、タリバン、アルカイダとの闘いを収束できるかも分かりません。彼の大統領としての真価が問われるのはこれからです。 世界は、イラン、北朝鮮の核増殖問題、イスラムのテロ、アフリカの貧困、飢餓、第三世界での人口爆発と先進国での老齢化、環境破壊問題、などなど、長期的にインテンシブな注意を要する困難な問題が山積みです。そんな中でアメリカのリーダーシップは極めて重要な鍵を握ることになります。もしブッシュにもう一期の任期があったとしたら、世界は取り返しのつかないことになっていたかもしれません。多くの世界の人はそう思っていると思います。そこへ、若い黒人系のオバマが絶大な人気を持って現れました。アメリカを建て直し、世界を良い方向に導いてくれるだろう、という人々の期待はいやがおうでも盛り上がります。オイル利権でガチガチの国益主義者のブッシュではなく、コミュニティーオーガナイザーで、演説好きの、そして多分理想主義のオバマに対する人々の期待は等身大のオバマの何百倍にも膨れ上がっているでしょう。問題が山積みの今日の世界で、現在もし救世主がいるとしたら、オバマが最も近いでしょう。「Yes, we can!」と言って、人々に植付けたある種の信仰心を裏切って、そのオバマがこれまでのようにアメリカの国益だけのために世界と取引するようなことがあってはならない、と世界の有識者は考えているはずです。アメリカ国益主義に釘を刺し、世界平和実現への継続的努力を要求するというプレッシャーを与えるという意味で、このタイミングでのノーベル平和賞は有効なのではないか、と思います。女性4名、男性1名からなる平和賞選考委員の意図もその辺りだろうと想像します。
ノーベル賞は生きている人にしか与えられません。約1億円の賞金は、本来はその賞金を使って世界に役立つ仕事をして欲しい、という意味もあるのでしょう。ですから、賞は受賞者の更なる研鑽と努力を促すものであって、宝くじでの一等賞とは意味合いが違うと思うのです。
これから、オバマはアメリカ大統領である一方、ノーベル平和賞受賞者でもあるという肩書きで仕事をしないといけなくなります。力によるアメリカ覇権主義的行動へのブレーキがかかるであろうと世界は期待しているでしょう。世界の平和のためにアメリカが率先して核軍縮を実践することを世界は望んでいることでしょう。そして、オバマがこれから取るであろう政策の一つ一つが世界平和達成という点から評価されることになるでしょう。オバマもそう感じるはずで、これは思いの外、効果的なのではないかと想像します。
当然のようにアメリカ国益第一主義で、世界のことよりも自分の住む社会が昔のように住み心地が良いことが最も大切と考える保守派アメリカ人は、このノーベル賞に反発し、オバマが世界の(あるいは、この権威ある財団のあるヨーロッパ諸国の)利益を優先して、アメリカの国益を損なうのではないか、といつもの調子で非難しています。また、オバマ以上に世界平和に貢献してきた人はもっと沢山います。賞が何らかの実績に対して贈られるとするなら、これは不公平だという思う人がいるのも当然です。
しかし、ノーベル自身の意図を考えてみれば、このオバマに対する平和賞は極めて納得できるものではないかと思うのです。ノーベルは自分が発見したダイナマイトによって人々が死んだり殺されたりするのを悲しんで、科学技術の「平和利用」と人類の幸福を望んで、彼の遺産の利用を指示しました。ノーベル賞の究極の意図は世界の平和の達成、ヒューマニズムの推進です。それなら、現在のこの不安に満ちた世界を平和に導くのに最も有効な力をもっているのは誰か、ノーベルの意志を達成する最も大きな可能性を持っているのは誰か、それを考えれば、現職アメリカ大統領という結論になるのは当然でしょう。公平とか不公平とか、政治的マニピュレーションだとか、アメリカの国益がどうとか、そういう下位レベルの思考をしていてはいけません。この場は、素直にノーベル賞受賞を喜んであげるのが「大人」というものであり、正しい地球市民の態度であると思います。
ノーベル賞がこのようにプロアクティブに使われたことはかつてなかったのではないでしょうか。それだけ、ノーベル賞財団の人々も世界平和に危機感を持っており、その達成には、オバマに是非とも中心的役割を演じてもらいたい、そう考えたのであろうと思います。ですので、これは賞というよりは奨学金のようなものですね。「オバマ君、期待をしているから、頑張ってくれたまえ、くれぐれもがっかりさせないでくれよ」そういうことですね。オバマ自身もそう解釈していました。
前回、アメリカの大統領がノーベル平和賞になったのはジミーカーターですが、大統領をやめて20年も経ってからでした。クリントン政権の副大統領のアルゴアがノーベル平和賞を貰ったのは、政治家としてよりは環境問題活動家としての評価によるものでした。ルーズベルト(テディ)とウィルソンは随分前に大統領現役中に貰っていますが、各々、日露戦争終結、国際連盟設立という業績がありました。オバマにはまだ業績らしい業績はありません。全くの無名であったオバマが大統領になって一年も経っておらず、アフガニスタンの戦闘も継続中のアメリカ大統領が、なぜ平和賞を貰うのか、おかしい、早過ぎる、という意見は尤もです。
他の賞ではその業績が評価されて初めて賞になるわけで、業績の評価にはしばしば何十年もかかりますから、なおさら、この平和賞が大統領一年生のオバマに与えられるということに疑問を感じる人が多いのはやむを得ないでしょう。
しかし、私はこのノーベル賞財団の英断を讃えたいと思います。確かにオバマはまだ何の業績らしい業績もありません。アメリカを建て直せるか、ブッシュが始めて泥沼となったイラク戦争、タリバン、アルカイダとの闘いを収束できるかも分かりません。彼の大統領としての真価が問われるのはこれからです。 世界は、イラン、北朝鮮の核増殖問題、イスラムのテロ、アフリカの貧困、飢餓、第三世界での人口爆発と先進国での老齢化、環境破壊問題、などなど、長期的にインテンシブな注意を要する困難な問題が山積みです。そんな中でアメリカのリーダーシップは極めて重要な鍵を握ることになります。もしブッシュにもう一期の任期があったとしたら、世界は取り返しのつかないことになっていたかもしれません。多くの世界の人はそう思っていると思います。そこへ、若い黒人系のオバマが絶大な人気を持って現れました。アメリカを建て直し、世界を良い方向に導いてくれるだろう、という人々の期待はいやがおうでも盛り上がります。オイル利権でガチガチの国益主義者のブッシュではなく、コミュニティーオーガナイザーで、演説好きの、そして多分理想主義のオバマに対する人々の期待は等身大のオバマの何百倍にも膨れ上がっているでしょう。問題が山積みの今日の世界で、現在もし救世主がいるとしたら、オバマが最も近いでしょう。「Yes, we can!」と言って、人々に植付けたある種の信仰心を裏切って、そのオバマがこれまでのようにアメリカの国益だけのために世界と取引するようなことがあってはならない、と世界の有識者は考えているはずです。アメリカ国益主義に釘を刺し、世界平和実現への継続的努力を要求するというプレッシャーを与えるという意味で、このタイミングでのノーベル平和賞は有効なのではないか、と思います。女性4名、男性1名からなる平和賞選考委員の意図もその辺りだろうと想像します。
ノーベル賞は生きている人にしか与えられません。約1億円の賞金は、本来はその賞金を使って世界に役立つ仕事をして欲しい、という意味もあるのでしょう。ですから、賞は受賞者の更なる研鑽と努力を促すものであって、宝くじでの一等賞とは意味合いが違うと思うのです。
これから、オバマはアメリカ大統領である一方、ノーベル平和賞受賞者でもあるという肩書きで仕事をしないといけなくなります。力によるアメリカ覇権主義的行動へのブレーキがかかるであろうと世界は期待しているでしょう。世界の平和のためにアメリカが率先して核軍縮を実践することを世界は望んでいることでしょう。そして、オバマがこれから取るであろう政策の一つ一つが世界平和達成という点から評価されることになるでしょう。オバマもそう感じるはずで、これは思いの外、効果的なのではないかと想像します。
当然のようにアメリカ国益第一主義で、世界のことよりも自分の住む社会が昔のように住み心地が良いことが最も大切と考える保守派アメリカ人は、このノーベル賞に反発し、オバマが世界の(あるいは、この権威ある財団のあるヨーロッパ諸国の)利益を優先して、アメリカの国益を損なうのではないか、といつもの調子で非難しています。また、オバマ以上に世界平和に貢献してきた人はもっと沢山います。賞が何らかの実績に対して贈られるとするなら、これは不公平だという思う人がいるのも当然です。
しかし、ノーベル自身の意図を考えてみれば、このオバマに対する平和賞は極めて納得できるものではないかと思うのです。ノーベルは自分が発見したダイナマイトによって人々が死んだり殺されたりするのを悲しんで、科学技術の「平和利用」と人類の幸福を望んで、彼の遺産の利用を指示しました。ノーベル賞の究極の意図は世界の平和の達成、ヒューマニズムの推進です。それなら、現在のこの不安に満ちた世界を平和に導くのに最も有効な力をもっているのは誰か、ノーベルの意志を達成する最も大きな可能性を持っているのは誰か、それを考えれば、現職アメリカ大統領という結論になるのは当然でしょう。公平とか不公平とか、政治的マニピュレーションだとか、アメリカの国益がどうとか、そういう下位レベルの思考をしていてはいけません。この場は、素直にノーベル賞受賞を喜んであげるのが「大人」というものであり、正しい地球市民の態度であると思います。
ノーベル賞がこのようにプロアクティブに使われたことはかつてなかったのではないでしょうか。それだけ、ノーベル賞財団の人々も世界平和に危機感を持っており、その達成には、オバマに是非とも中心的役割を演じてもらいたい、そう考えたのであろうと思います。ですので、これは賞というよりは奨学金のようなものですね。「オバマ君、期待をしているから、頑張ってくれたまえ、くれぐれもがっかりさせないでくれよ」そういうことですね。オバマ自身もそう解釈していました。
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