tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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日食と天の岩屋戸ごもり

2012年05月22日 | 記紀・万葉

昨日(5/21)の金環日食は、まさに「世紀の天体ショー」だった。奈良は薄曇りだったが、とてもよく見えた。読売新聞夕刊(5/21付)は1面トップで「天空リング 神秘の輝き 金環日食932年ぶり広域観測」、3面では写真グラフで「世紀のショー 列島歓喜」、社会面(10~11面)では「見えた!黄金の環」「同じ場所 300年に1度」と、大々的に報じていた。

10面にはQ&Aが出ていて《日食はいつ頃から観測されていたの》というQに対しAでは《日本では、日本書紀の628年4月10日の記録が最初。このほか天照大神が岩屋に隠れる「天岩戸伝説」は、247年3月24日、248年9月5日と、2年続いた皆既日食を指している、とする説もあります》と出ていた。以前、当ブログの「冬至と天の岩屋戸ごもり」(11.12.23)で、この神話を「冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したもの」とする「冬至説」を紹介したが、今回は「日食説」(天の岩屋戸ごもりは日食を表したもの)を紹介する。

日本で初めて「日食説」を唱えたのは荻生徂徠で、『南留別志(なるべし)』という随筆集に書いているそうだ。国立天文台報(2008 第11巻)「七世紀の日本天文学」(谷川清隆・相馬充)によると、《筆者らの知る限り、日本の天文記録に言及した近代人は荻生徂徠が最初である。彼は、「南留別志」に 日の神の天の磐戸にこもりたまひしといふハ、日食の事なり。諸神の神楽を奏せしといふハ、日食を救ふわざなるべし。と書き、日本書紀巻一神代上に書かれた「天の磐戸」の記事は日食についてのものであると解釈する》とある。

今朝のFacebookには「太陽が陰ると、風が急に冷たくなるんですね」「日食の影響か、鳥の鳴き声も少し違う感じです」「日食の間、近所の犬たちが一斉に吠えだし、犬界でも、ただならぬ様子をキャッチしていた模様」「太陽がまん丸に戻るまで、ゆったりと過ごした時間もいとおしい。光が戻るに連れ、雲雀たちが歌いだした」という感想が寄せられ、「私は怖くて外に出られませんでした。日食苦手なんですよねぇ」というコメントには「古代の人びとを彷彿とさせる反応ですね(笑)」というツッコミが入っていた。天文学を知らずに日食を経験した古代人は、それは驚いたに違いない。

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中島みゆきは、自ら「言葉の実験劇場」と呼ぶ舞台「夜会」をほぼ1年置きに開催している。その第4回(1992年)が「金環蝕」だった。《古事記と日本書記に出てくる“アメノウズメノミコト”って知ってますか? 中島みゆきが問う日本女性像。言葉の可能性を求めた実験劇場『夜会』第4回公演「金環蝕」のすべて》(『金環蝕(夜会)』シナリオ集の紹介文)。

申すまでもなく、アメノウズメノミコト(天宇受賣命)は、天の岩屋戸の前で「神懸かりして胸乳(むなち)をかき出で、裳緒(もひも)をほと(女陰)におし垂れき。しかして高天の原動(とよ)みて、八百万の神ともにわらひき」(古事記)という、あの女神である。荻生徂徠の「日食を救ふわざ」を演じたのである。これを中島みゆきが舞台でどんな風にやったのか、想像すると少しコワい気がするが…。ともあれ、「金環食」と「天の岩屋戸ごもり」を結びつけ、それを舞台に仕上げた中島の慧眼には、脱帽する。

さて、次は6月6日。金星が太陽の前を横切るそうだ。今度は日食めがねを用意して、じっくり観察することにしたい。
コメント (2)
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